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生まれ変わって返って来た言葉


今年もよろしくお願いします。


今日は、年明け早々.... 泣きじゃくりました。



こんなに、悔しくて、怒りがコントロールできずに泣いたのは
子供の時以来です。

小学校の高学年だった。
大切にしていた妹と御揃いの耳あて。

妹の物が、折れてしまった。


色も絵柄も全く同じ。


ただ、2年くらいは使っていたので、どちらのものか
私には、すぐに見て判別できた。
私の物には、うさぎの絵に特徴的な傷が入っていた。

きっと妹も、私と同じように 気に入っていて大事にしていたのだと思う。

3つ年下の細かいことは気にしない妹には
私には、非常に特徴的に見えた傷も、色の褪せ方も
微妙な毛玉も、全く目に入らなかったのだろう...


彼女は、わたしの耳あてを 自分の物だと言って
真っ二つに折れた、妹の物であろう耳あてを
私の机に置いた。


当然、私は猛抗議した。

どうしても、どうしても、誤解を解きたかった。
特徴的な傷も、毛玉も、名前を書いたけれど消えてしまった痕跡も
昨日まで、同じものを使っていたのに、どうしてこれが
自分の物だと言えるのかが
その当時の私にはどうしても納得できなかったのだ。

妹は、私が 耳あてを壊した挙句に
取り返そうとしていると、両親に言いつけに行った。

妹が耳あてを壊していないのならば
妹の言い分も、正しいのである。
第三者の仕業か、今にして思えば、自分が気がつかない間に
物が壊れてしまうことは、人生には結構ある。
例えば、クッションの下に耳あてが入っていて
気付かずに、その上に物を乗せたり踏んだりした場合でも
壊れるわけだし....

自分が壊していないと自信があった妹は
私が壊したのだと思い込み、私の物だと知っていながら
壊された代償に、取り返さなければと思ったのかも
しれない。


いずれにしろ、真相はもう藪の中だが.....



でも、あの時確かに

両親は、それを 妹のものだと言い切った。



「返しなさい! それは 妹のでしょ!」


「違う! だって、ここに傷があるのは....」



説明しても、取り合ってくれなかった。


妹は、背が低くおとなしい子だった。
私は、学校一背が高く、活発で、落ち着きが無く、お喋りだった。

当時は、2人部屋だったが
妹は、片づけが苦手だった。

私は、唯一 ADHDと思えないのが
非常に、片づけが得意だということ。
いつも、妹の分まで文句を言いながらも片付けていた。


でも、それにも 限界がある。

いつの間にか、散らかると
それは、すべて 私のせいになり


両親は こんなに散らかすのは、すみれだと決まっている!!

悪いこと=すべて私

という図式が、完全に出来上がっていた。


落ち着きがなく、お喋りで、デカくて可愛げがないすみれは
物を乱暴に扱い、部屋の掃除も出来ない、だらしない奴で当然だ。

と、思われていたのかもしれない。
そう思われるまでには、色々あったに違いないし
仕方のないことだと、今では思えるのだけど。



結局、相手の理不尽極まる言い分に、私は大声で喚きかんしゃくを起こし
泣きじゃくり、自分がこのまま狂ってしまうのではないかと思った。
悔しかった。


正直、些細なこと。

でも、当時の私にとっては (うーん...このパターンはきっと今でも)
とても大事なことだったし、譲れないことだった。



今日は、この出来事とは全く違うけれど
この時に味わった、あの悔しさを彷彿させる出来事があった。
悔しくて、悔しくて、 子供の前なのに
自分のかんしゃくを止めることなど出来なかった。
きっと、私以外の人間からすれば 些細なことなのかもしれない。
でも、私は それをどうしても些細なこととして受け入れることが出来ない。
前触れもなく、それを突然聞かされたパニックがほとんどなのだが
それを相手が理解できるはずもないし、理解しようとしていただこうと
すれば、余計に聞く耳を持たないだろう。
お互いが、対処法を一緒に考え進んでいけるのが
ベストなのだが、私は生憎そんな恵まれた環境にいない。
そんなことを言い出したら、言い訳だとか、都合のいいときにだとか
大袈裟だとか、とうとう狂ったかだとか言われ逆にもう2度と
そんな戯言を口に出来ないようにと、精神的に追い込まれる。
この16年、ずっとそれを繰り返してきた。
極端から極端にしか動けない性分なのも災いし、自分を追い込むのもイケナイ。
結局、理不尽な申し出を無条件で受け入れた挙句に
私は、かんしゃくを起したことに対し 
土下座して、何度も何度も額を床にこすりつけて謝罪した。

今は、悔しくて、内容を書ける状態ではないが
いつか、落ち着いたら 家ブログの方にでも書いておこうかと思う。


どうして、こんな状態で 文章を書く気になったのか

今日届いた 大切な友人からの年賀状にこんな一文があった。





問題が起きたり、壁にぶつかった時にはいつも

「一日が楽しかったと思って、終わる事って大事」

と言っていた すみれチャンの事を思い出します。







自分の何気ない言葉が、人の心に届き
そこから自分の心に戻ってくることって
そうそう体験できることではないけれど

今日の、このタイミングで 彼女の口からその言葉が
私の元に戻ってきたことを
ただの偶然とは思わずに、大切に受け止めたいと思う。


日付は変わってしまったが
何とか、良い一日だったと思って目を瞑る事が出来るよう
私は、こうしてパソコンに向っている。

見失ってはいけないものがある。
一時の怒りに任せてはいけない。
何が一番大切か、自分は何をすべきか考えれば
おのずと答えは見えてくるはずだから。
だから、今日は ゆっくり眠ろう。


今日、田舎から届いたお菓子が美味しかった。
今日、子供達といつも以上に話すことが出来た。
今日、素敵な年賀状が届いた。


今日も、楽しい一日だった。

私と関わってくださったみんなにありがとう。







コメントを下さっている皆様へ
いつもありがとうございます。
ごめんなさい。 コメントのお返事は
落ち着いてから、させていただきますね。
相当お待たせしているのに、更に申し訳ないのですが
楽しい気持ちの時にさせていただきますね。

テーマ : 発達障害
ジャンル : 福祉・ボランティア

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