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忘れ物キングになった日

小4から小6まで、3年間担任をしてくれた新任の熱い男
(カテゴリー 熱い男、軍隊式小学校を参照してくださるとわかります。)

忘れ物をすると、家まで取りに行かせた。


それは小4から小6までの三年間ずっと続いた。


たとえ、算数の授業が、あと5分で終了するとしても
分度器を忘れた子がいれば取りに帰らせた。
片道40分かかろうが、容赦なかった。


ADHDだったが、非常に几帳面で暇だった私は
(暇だった....これは、かなり重要。 遊ぶ約束などもなければ
忙しくなければ、何度もランドセルを確認する時間も出来る)

忘れ物は、まずしない。出来ない。


でもね...

何事も極端から、極端のわたし。


一日に、3回戻ったという記録は、三年間 誰にも破られることはなく
ほとんど忘れ物をすることがなかった私なのに
その時の印象がよほど強いのか、結局、卒業時には


忘れ物キングに仕立て上げられてしまっていた。


私を忘れ物キング(女なのに...)に印象付けることとなる
伝説の一日は、こうだった。



私の小学校は、○○省のとある指定になっており
ユニークな教育法で、知られていた。
制服はなかったが、学校へ私服で登校することは
許されなかった。
真冬でも、半そで、半ズボン体操着での登校。
どうしても無理な場合は、真冬の登下校時にジャージを
着てもよい。 という恩赦が与えられた。


もちろん、学校に着くと、どんな事情があっても半袖半ズボン
更には,,,,(これを言うと、バレるので言えない。とにかく酷い環境だった....)
学年ごとに定められたトレーニングに勤しむ。
この学校には、朝休みはもちろん
遊びの為の休み時間は存在しなかった。

朝 マラソン業間 軍隊式の行進

昼 器械体操、逆立ち、一輪車、竹馬 、縄のぼり etcから日替わりメニュー

発表会や、各種大会が近づくと、夜の8時頃まで
練習することが続いた。

ここは、小学校ではなく...本当に軍隊生活だったのだ。
運動神経が鈍かろうが、身体が硬かろうが
強制的に練習しなくてはならない。

驚くことに....私たちは、中学に入るまで

背中の馬とびをすることがなかった。

私たちの馬とびは、ブリッジをしたお腹を飛ぶスタイルだったからだ...
(馬とびちゃうし...)


飛んでくぐって を数十回。
タイムを計り、遅かったものには罰が与えられる。


って、この話をし始めるとキリがない。


とにかく、そんな恐ろしい軍隊生活では、最も忘れてはいけないアイテム!

半ズボンを忘れてしまったのだった。



ジャージを脱ごうとした時の、あの衝撃を忘れられない。

友達に、自分が半ズボンを履いてくるのを忘れたことを告げると

この後に起こる悲劇を予想し、震え上がった。


帰れって言われるべな。
どうすっぺ?

これ、マジックで 直接足に半ズボンの絵を描いたら
誤魔化せるべか?

パンツの上はどうする?

パンツもマジックで染めればいいと思うけども
時間がかかりすぎるべ...
(やる気か↑)


なぜ、ここまで 私たちが震え上がっていたのかと言うと
家に戻らされるという理由の他に、もう一つ。


その日は、大雪で 視界すらハッキリしない吹雪状態だったからだ。

走ると、雪が目に刺さるので 目が開けられない。
そんな状態だったが
とりあえず、朝のマラソンを終え教室に戻る。


万年クラス委員長 隆志君(仮名)が
頭から湯気を出しながら、こっちを睨んでいる。
(軍隊式小学校は学年1クラス。 隆志は、私が転校してきた
3年時よりすでに委員長で、卒業するまで委員長だった。
誰も、他の人を委員長にとは言わなかったし
本人も、当然と思っていた節があった(笑))

とにかく隆志は、朝のマラソンの後は、いつも頭から湯気を出していた。


ってか、忘れ物キングの話から
だいぶ逸れてしまったやん。

なんで、隆志の湯気話で終わるねん。

でも、削るのも嫌なので

次回は、簡潔にまとめよ。



つづく





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そこで終わりか~~~~~い!!!

あん&こむさんへ

またしても今日も脱線....
でも 昨日の終わり方よりは
マシでしょ ぷぷ...
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