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電車を止めたワタシ -そんなわたし

教師による暴言、 自律神経の症状の記述があります。
その他 パニックに繋がる可能性のある表現を含んでいる
かもしれません。
パニックを起す可能性のある方は、読まないでくださいね。


それと、しょうもないことであ~でもない。
こ~でもない。 という 文章が目立つ記事でもあります。
時間を無駄にしたくない方は読まないでくださいね。



電車を止めたワタシ 1
http://kokoronohiroba.blog89.fc2.com/blog-entry-565.html



電車を止めたワタシ 2 
http://kokoronohiroba.blog89.fc2.com/blog-entry-566.html



電車を止めたワタシ 3 
http://kokoronohiroba.blog89.fc2.com/blog-entry-567.html



電車を止めたワタシ 4 
http://kokoronohiroba.blog89.fc2.com/blog-entry-568.html



電車を止めたワタシ 歪んだ思い 
http://kokoronohiroba.blog89.fc2.com/blog-entry-572.html


前回までの話 ↑




私には、赤面、あがり症で 人前に出ると汗が噴出し
呼吸ができなくなるという症状が
中学2年の時に突如現れるようになった。
(中学の学年主任の先生に、”赤面症”とあだ名をつけられ
わざわざ私を笑うために、授業の度に、私だけを指名して
教壇の前に立たせていた。
その時に、どんな様子で私がどんな言葉を繰り返し投げかけられて
いたかは、まだ私の中では笑い話に出来ないので
詳しく書くことができない。)

それは,意識すればするほど、どんどん酷くなり
周囲は私の様子に間違いなく気がついていたのに
周囲に絶対に知られたくないという矛盾したプライドがあった。
クラスのみんなの前で先生に赤面症だ!!
と馬鹿にされているのにも関わらず
そんなことを知られるくらいなら
死んだ方がマシだと本気で思っていた。
馬鹿みたいなんだけれど、本当の気持ち。

少しでも視線を意識してしまうと、真冬でも カーッと一気に体温が上がり
汗が頭から背中から流れ落ちる。
それは、髪の毛がビシャビシャに濡れてしまうほどだった。
恥ずかしくて恥ずかしくて 咳が止まらないのだという素振りをして
ごまかしてみたり、突然吐き気がしたフリをして
教室を飛び出して、トイレに駆け込んだことも何度もあった。

バスに乗るとみんなが自分を見ている
気がして、乗れなくなり
高校2年の終わりから高校3年卒業時まで、母に送迎してもらっていた。

母は、私の症状など知りもしなかったが
私が、高校の友達と寄り道せずに帰ってくるのは
とても望ましいことだと思っていたし、勉強をする時間が
確保できるので、喜んで協力してくれた。


授業参観、教育関係者の参観みたいな時が一番の恐怖で
背中には、後ろにいる人間すべての視線を感じてしまい
汗が止まらない。 全校集会のようなものも一緒だった。

高校を卒業して、東京の電車に乗るようになって
(その頃には、薬のお世話になっていたこともあり)
少しずつマシにはなってきた。
何たって、東京の電車は、数分おきにやってくるから
いたたまれなくなったら降りて、また乗ればいいと
随分気が楽だった。


昨年、学校の役員が回ってきたので
イベント、懇談などで司会をする機会が何度かあった。

しかし、自分が元赤面症で元パニック障害で元視線恐怖で
まだ完全に克服してはいない。
だから、人前で話すことができません。と 
あらかじめ断っておくという選択は、人前で話すことの何倍も苦痛なのであった。

それは、どこか....
ナースキャップかぶったまんまhttp://kokoronohiroba.blog89.fc2.com/blog-entry-138.html
だと気づいても
気づいた自分に、気づかれるのが嫌だという
あの訳のわからん理屈に似ているかもしれない。
私は、平気で自虐が出来るが 部分的に
誰もが理解不能な高いプライドを持ち合わせている。


私は、それを認めたくなかったし、それを誰かに知られることは
耐え難い屈辱だった。
何より、理由付けをして逃げることが大嫌いな私は


(人に対しては、全く非難の気持ちはない。むしろ推奨。
自分に対してだけのこだわり。
母の厳格な教育、軍隊式小学校や、中学の部活などで
努力や、根性を植えつけられた結果、こんな思想になってしまった。
何か理由をつけて逃げたいと思うと、誰かに怒鳴られそう。
こっぴどい罰を受けそうだと、いつも怯えている。)


司会を決めるジャンケンやクジにも参加するし
どうしてもどうしても、人前で話すことが苦手なの!!と
言って譲らない(ジャンケン、クジにさえ参加することを拒否)
人の代わりに、マイクを持って体育館のステージで話したこともある。
その時には、手が震えてマイクを2度も落としてしまったので
見兼ねた隣の方が少しだけ代わってくださった。
その方は、人前で話すことは絶対に無理だと言って
最後までジャンケンに加わらなかった方々の1人だった。


この時に

私の”出来ない”と周囲の”出来ない”は明らかに異質な
ものなのだろうという思いは過ぎったが
ハッキリとはわからない。

恥ずかしいとは、どういう意味なんだろうか?
人は口々に、人前で話すのが苦手、無理だと言うが
まったく、顔も赤くなっていないし、汗も出ていない。
呼吸も苦しそうじゃないし、早く話を切り上げたいと
思っている様子も見えない。
名前だけの自己紹介で十分なのに
長々と紹介してしまうのはなんなのだろうか?
人々が言う”出来ない””恥ずかしい”の根拠は何なのか
未だによくわからない私なのであった。


もしかしたら、”面倒くさい””やりたくない”を
ダイレクトに言えないがために

”恥ずかしい”とか、”私には出来ない”に変換しているのか?

もしかして....

人前で、上手く喋りたい、カッコよく喋りたい、流暢に喋りたい

でも、それがプロの司会者とか
3組の中島さん(←適当に言ってみただけ(笑))
ほど上手くできないからなのか?

単純に
恥ずかしいのは、恥かしい。
苦手なものは、苦手なのだろう
そして、人はそのレベルを人とは比べることが出来ない。
自分基準で考えるしか出来ないから
自分以外の人は、すごいな。
堂々と上手に話せて...
と、思っているのかもしれない。
そうだよね...あの人よりも 私の方が恥かしい度が高いって
判断できないもんね....


そうかもしれん....
私は、馬鹿なくせに物事を難しく考えすぎる。
もっともっと、単純に考えれば悩まないで済むというのに
しかし、シンプルな答えほど 見つけるのに時間がかかる。


電車の中にいた人々は
あまりにも衝撃的な出来事で
かたまってしまっていただけかもしれない。

足がすくんで動けなかったなっちゃんみたいに
心配で仕方がなかったけれど、動くことが出来なかったのかも。



そんな風に、考えることができると随分楽になった。


医師はこう言った。




私の なぜ わたし? という思いは

上記のような背景ありきのもので


面倒なことを引き受けてしまったとか
貧乏くじを引いてしまったとかの意味は含まれていないために

その言葉に罪はないと。


むしろ


そんなわたしなのに

そんな大それた行動を起せたのだという事実を受け入れ

誇りに思いましょうと。




実は、この出来事があったのは○年前だったのに
すぐに記事にできなかったいくつかの理由の一つが
私のこのネクラで馬鹿でウジウジした感情だった。

しかも、わたしは これよりもっと後で
最もシンプルな答えを見つけることになる。

ほんまに、面倒くさい奴だ。
どうしても回り道をして、複雑に複雑にして
自爆しての繰り返し......

でも、1度は書いておかなければならなかった。
今がその時だから、一気に書いてしまうことにした。






続く






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