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びっくりしないでね....と母が言う時 1


母が、びっくりしないでね....

と、言う時は.....そうだ.....



必ず、誰かが亡くなった時だ。




一番最初は、祖母が亡くなった時だった。



祖母の家は、私の実家から車で40分ほどの県外にあった。

今から22年前のクリスマスイブに
私の家には、祖母の家にいる内孫2人が泊まりに来た。

中学2年生だった私、小学5年生だった妹と、小学3年生だった弟の
私達きょうだいと、中学1年生のてっちゃんと、小学5年生のゆうちゃん(女)
きょうだいのささやかなクリスマス会が行われた。

両親は、祖母の家に行ったきりだった。
うちの親も、2人のいとこの親も顔色を変えることなく
子供達だけでクリスマス会楽しんでね!なんて、言っていたものだから
私達は、誰1人として 何も疑うことなく
小さい頃によく行き来して、お泊りを楽しんでいたあの頃のように
歌をうたったり、ゲームをしたり
本当に本当に、楽しいクリスマスイブを過ごした。

祖母は、癌の闘病中ではあったが
私達には、祖母が癌であることを知らされてはいなかったし
その頃は、まだ誰も 自分の家族が”亡くなる”ことについて
リアルに感じることなどできなかった。


てっちゃんと、ゆうちゃんには 歳の離れた弟がいたが
まだ生まれたてのその子は、お留守番だった。


優しいてっちゃんは、クリスマス会のケーキの飾りや
お菓子のおまけのようなものを
自分の弟に持って帰ると、言っていた。
優しいだけじゃなく、ここのきょうだいは本当に頭脳も明晰で
私は、中学2年生の勉強を1年生のてっちゃんに
この日、いくつか教えてもらった(笑)


夜中、みんなで雑魚寝している和室の布団へ母が潜り込んできた。


私は、なぜ母が戻ってきたのか、さっぱりわからなかったが
子供達だけでの留守、しかも私が1番の年長者であるという
責任感と不安感から少し解放されたように感じ
その後は、目を覚まさずに朝までぐっすり眠ったような気がする。


普通に朝ごはんを食べて、普通に遊び
しばらくすると


母が

「てっちゃんと、ゆうちゃんを 送っていこうか....」

と言った。



もっともっと遊びたかった私達は、すぐに返事をしなかったが
てっちゃんだけは、荷物をまとめて
家の中を1人片付けはじめた。


テツヤは、本当にえらいねえ.....

母の言葉に、私達も無言で同意した。




てっちゃんは、本当にえらい子だった。
いつも優しくて、何でも知ってて、ちょっと泣き虫だけど
みんな、てっちゃんが大好きだった。

祖母の家に行く前に、ご飯を食べていったのだが
みんなが、ステーキやら、ハンバーグやら
ご馳走を食べている時に、母はニコニコして
私達を眺めていたが....

食事が進んでいないことに私は気がついた....


お母さん、食べないの?

うん。朝ごはん食べすぎちゃったわ.....



そうか....そんなもんか。


母が、食事を残すなんてことは
後にも先にも、その日だけだったことに
私は、気がつかなかった。



祖母の家が見える直線道路に入った瞬間.....


道路の両脇には、びっしりと葬式用の黒い花輪が並んでいた。



何百メートルも手前から始まったその花輪が、まさか
祖母の家のものであるなど、私達は予想だにしなかったので


えっ?誰かの家、お葬式??

それにしても、すごい花輪の数だね!!



なんて、言っていた。




しかし、車が進むにつれて

車内は、静まりかえり

みんなの息づかいが、どんどん大きくなっていった。

鼻炎のてっちゃんの鼻が、ピーピー鳴っていて

その鼻笛の音がどんどん、どんどん大きくなって


何でなの?え なんでなの?

と、喘ぎ喘ぎ、搾り出すように出していた訛りの強い
あの言葉を



私は、今でも忘れることができない。

(つぶやきシローっぽい訛り)


母が


びっくりしないでね....

おばあちゃん、昨夜亡くなったのよ.....




ええ??嘘だ??いやだああああ!!


ゆうちゃんが、泣き出した。
ゆうちゃんは、花輪が見えた時に不安が過っていたのだろう
頭のいい子だったから、すぐに気がついたのかもしれない。
顔を覆ったゆうちゃんの指には、爪の痕がくっきりと残っていた。

強く手を握っていたのかもしれない....




私達きょうだいも、かなりの衝撃だった。



しかし、中でも一番取り乱していたのは
やっぱり、てっちゃんだった。


中にいる祖母にいの一番に駆け寄り
すがりついて、泣き崩れた。

妹のゆうちゃんも、後に続き
2人は、涙が枯れるのではないかと思うくらい
泣き続けた。



私達きょうだいも、祖母を失った悲しみ
祖母の最期に、私達はクリスマス会などに興じていた
という事実に、打ちのめされていた。

何て言ったらいいかわからない
でも、そこにいた私達みんなが感じていた背徳感だった。



私は、祖母の傍らで腰を抜かしていた。


祖母が震える字で私に送ってくれた手紙(←みんなに贈りたい祖母の遺言の記事へ)
のことを思い出し
まさか、癌だったとは、祖母が死んでしまうとは......
祖母の冷たくなった手を見つめながら


辛そうだった祖母の様子を思い出していた。


母が、祖母の背中を摩っていた。




すみれ、摩ってあげてよ。



私は、その時 ええええ?今じゃなくちゃダメ?


と答えた。



母は、今じゃなくていいよ。



そう言った。


祖母も


いいよ。大丈夫、大丈夫.....

そう言っていた。





私は、その後で 祖母の背中を摩ってあげたのだろうか?

祖母の背中を摩ることをなぜ断ったのだろうか?



私は、もうあの背中を摩ることができない.....



おばあちゃん.....ごめん........

本当にごめんなさい。




私は、心の中で何度も祖母に謝罪した。

そして、あの手紙が祖母の遺言状だった
ことにも気がつき、胸がしめつけられた。

苦しくて切なくて
もう二度と会えないのに、謝ってももう
遅すぎるのに 何度も謝って

遅すぎることがわかっていたから

私は、あれから23年経った今でも
背中を摩らなかった自分を憎んでいる。

誰も私を責めなかったけれど
私は、一生あの時の自分の言葉を
忘れることはないだろう.....





あのね、アキおじさんが亡くなったのよ.....


電話の向こうの母が言った。



えっ????

あ.....そうなんだ.... 身体悪かったもんね.....


アキおじさんは、父のお兄さんであり
私の叔父である。



釣りの名人で、いつも大酒を飲んで 豪快な気性の持ち主だった。


私が、どじょうすくいに興味を持ったのも
このおじさんの影響が大きかったのだ。

一昨年の帰省の際も、すっかりどじょうが取れなくなった
用水路のことで、おじさんに愚痴をこぼしてきた私だった......


そうか.....おじちゃん.....



お母さん、そっちに帰った方がいいよね?



うん....それはね...いいのよ。

それより、もう一つ話があってね.....



びっくりしないでね......



びっくりしないでね.....?って.....



まさか、まだ  まだこれ以上の話があるのか!?

私は、構えた。





テツヤが、今朝亡くなったの。

























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