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熱い男の家とユニーク教育法

そこは、ダンボールの国だった。

クラスの男女7、8人で熱い男の家にアポなしで押しかけた。

先生には女の影は全く無かった。

休日に押しかけても、絶対に家にいると信じて私達はバスに乗り
駅から30分かけて歩きたどり着いた。

熱い男は...いた。
そして、意外な程喜んで私達を招き入れた。
部屋は、独身男の1人暮らしとは思えないくらい
綺麗に片付いていたが なにしろ、ダンボールの国だった。

TV台も机も棚もゴミ箱もダンボールで作られていたのだ。

そして、そのダンボールはすべて
カレンダーの裏の白い部分で覆われて

自作のポエムと、自分の似顔絵と、例のサインが描かれていた。

ポエムの内容を憶えていないのだが

「花のように生きる俺」とか
そんな内容だった(笑)

そんなとんでもない家具を見つけてしまった私達は
のたうちまわって笑っていたのだが
熱い男は気を悪くすることもなく、そんな私達を目を細めてみていた。
さんざん馬鹿にしていたのに、今思えばなんて心の広い男だろう。

女の影もなく、モノを書く事が好きだった先生は
あのダンボールに座り毎日日記の返事を書いていてくれたんだな...
と、今となれば胸が熱くなるのだが。
私達を担任した3年間、一日も欠かさず続けられた日記。

30人全員が、最低でも大学ノート一枚分の日記を書かされて
先生は全員に
それ以上の文字数で長い長い返事や、感想を書いてくれた。

しかし...
あまりにも一生懸命書いていた熱い男は、とうとうその返事を
要求しだした。


日記→先生のコメント→そのコメントへの感想

こんな事を私達は毎日続けたのだ。

お陰で、みんな文章を書くことや漢字にやたらと強くなっていった。
なぜなら、漢字でかける単語は習っていなくとも辞書で調べて
必ず漢字で書かされたのだ。
醤油や薩摩芋、紫陽花や鰊
こんな漢字が入っている小学生の日記はなかなかなかっただろう。

この男が担任になってからの3年間
私達は鉛筆削りを使ったことがなかった。
それぞれに専用のナイフを購入させて
毎日自分の手で削ることを徹底させた。

アスペの例に漏れず超不器用だった私は
手を切ったり皆のようにうまく削ることが出来なかったのだが
そのうち どんどんコツを掴み
卒業する頃にはまるで鉛筆削りで削った鉛筆のように

ナイフの削り跡が全く残らない程、ツルツルに削ることが出来るようになっていた。

この時に、徹底して教え込まれた技は
歯科医院で働いていた時にとても役に立った。

私は、歯石を取るのも仮歯を作るのも
どの歯科に行っても一番上手だったのだ。

冬が終わると田植えをやらされたり
切り株だらけの山の中を綺麗に耕して1から畑を作らされた。

この先生に出会ってから3年後の私達は
とんでもないたくましい野生児に成長していた。

私は少しでも手や服が汚れるのが嫌だった。
田んぼのヌルヌルに素足を入れる感触がとても嫌いだった。
でも、やらなければならなかったのだ。

そして、私はその全てを克服していった。

この男は、自作の賞状を不定期に渡してくれた。
数え切れないくらいの賞状をもらったが、今でも持っている
何枚かの賞状の中に

鉛筆削るの上手で賞

嫌いなことを進んでやったで賞

がある。

熱い男は本当に1人1人をよく見ていた。
こっちが悟られまいと思っていても
この先生には全てお見通しだったのだ。


今回は、熱い男から教えられたことをほんの一部ですがお送りしました

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