すみれ2度目の診断
2008.04.09
私がアスペルガーと診断されたのは、約2年前のことだった。モモの診察のついで、それも雑談の中から診断される形となった。
当時の主治医は、とても興味深く私に様々な質問をしては
もっと過去の話を教えて欲しいと言った。
そこで、何度かメールのやり取りをしていた時期もあった。
詳細な問診と、いくつかの簡単な検査はしたが
基本的に大人の検査はできないということで
紹介状を書くのである機関へWAIS-Rを受けにいくように言われたが
電車の往復運賃と検査料が払えないので(本当に貧乏なんです...)
先延ばしにしていた。
モモに検査が必要なのであればいくらでもお金は工面するが
私の検査ごときに、そんな大金は払えないし(うちにとったら大金なのです)
何より、私はその当時自分にそんなに興味がなかったのだ。
もちろん
自分はアスペルガー症候群なんだ...
そっか...あれもこれも、それが原因だったのだろうか?
と当てはめることによって、いくぶん....いや、かなり気持が楽になったものだ。
2年間を経て、そんな自分に変化が現れてきた。
それには、ココロのひろばでの「すみれ」という記憶を基に構成された
自分を客観視できる、ある意味もう1人の存在と
成人当事者との交わりが大きく作用していると思われる。
成人当事者との交わりがどのように作用したのかは
説明できない。それは、私もよくわかっていないような気がする。
でも、何となく....そんな気がする。
それなら、モモと一緒に思い切って検査を受けてみようかしら。
ずっと通っていた病院の先生は、とにかく薬の好きな先生だった。
しかし、私はモモに薬の必要性を感じなかったしすぐに飲ませるのをやめた。
電車を乗り換え約2時間のその病院まで、月に2回薬を取りに行かなければ
ならないのがとても苦痛だった。
どうしても薬を取りに行けない時期が続き、久々に予約の電話をした。
するとずっと薬を取りに来ないような方は、お断りのような
表現をされたのでいい機会と思い通うのをやめた。
支援センターで、自宅から車で1時間の範囲に
とあるクリニックがあることを知った。
そこでは、成人の診断も検査もできるという。
そして先日、検査目的前提の2回目の診断が下った。
1日目は、高機能広汎性発達障害。
その後 検査用紙に記入し 1週間後にその結果を聞きに行った。
医師は、とてもそわそわしていた。
何だかとっても嬉しさを隠しきれない様子で
びっくりなんですよ!びっくりでした はい!
と、検査結果の用紙を探しながら 私に笑顔を見せた。
あのね....僕....初めて見ました。
こんな高得点......
これね.....こんな高得点、見たこと無いです。
あのね、37点くらいが発達障害の可能性が高いと
言われてましてね
河嶋さん・・・・・・
45点!!
だったんですよ。
何が?????である。
実を言うと、どんな検査なのかはまったくわからなかった。
やたらとおかしな日本語の質問と答えの言葉遣いがとても気持が悪い
内容だった。
馬鹿な私は、それを受付に持って行き
あのう...すみません....
この質問って言葉遣いがおかしいですよね?
日本語がおかしいというか...
この言い回しだと、2通りに受け取れるように思うんです。
そうすると、答えも正確性に欠けてしまいますよね?
と、聞いてみた。
すると、受付の方々が集まって皆それぞれに
困ったような.....
励ますような....
何とも言えない笑顔を見せながら
そう言った質問は、一切お答えできないんです。
検査なので....
ご自分の一番最初に浮かんだもっとも近い気持を書いてくだされば
結構です。
そうですか....じゃあ、何とか頑張ってみます。
受付から連絡が行ったのだろう。
医師が、私の元にやってきて
河嶋さん、それも含めて検査だから。
意味がわからんかったら飛ばしてくださっていいですよ。
それと、日本語がおかしいのは直訳だからですよ。
ほんま、あの言い回しおかしな部分がいっぱいあるんですわ!
と、勇気付けてくれた(爆)
何とか頑張って答えたが2つの質問が
下から見ても、上から見ても、目を細めて見ても
さっぱり意味がわからんので
質問の意味がまったくわかりません。
と記入して、提出したのだった。
もう一つの検査は、検査用紙に検査名が書かれていた。
エジソン度テストって書いてあったように思う。
その話は、また次回に。


