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さいしょの記憶 

私はね、寒がりなくせに雪を見るとテンションが上がる!
上がっちまうっ!

残念ながら、我が家の娘たち
(正確に言うとモモは。マルは一度だけアリ)
はまとまった積雪を見た事がない。

現在の私のテンションは 明らかに子供の時以上である。

それは久々に見る雪を懐かしく思う感情なのか
それとも、雪国にいたころは、雪が珍しくなかったからなのか
それとも、まだ雪の楽しさを知らない娘達に
それを教えてあげたいからなのかは定かではない。

私は岩手県○岡の出身。
3歳までの3年間しかそこで過ごしていないのだが
この時期になると○岡時代をパッと思い出す瞬間が増える。

大事な記憶をいつか忘れてしまわないうちに
書き留めておかなければならない。
実際、浮かんでは消えていくものが多く、一瞬浮かんだ鮮明な記憶が
もう二度と浮かんで来ない事も多々あるのだ。


当時の私の家は、交差点の傍にあった。家の中から信号が見えた。
隣には、菓子屋さんがあった。

その菓子屋さんはうちの左隣にありそこが角地であった。
作りたての並んだ団子を母の背中におんぶされた私が必死に手を伸ばして
取ろうとしている。
粉(何だろう?白玉粉?)の中に手を入れた時のなんともいえない感触。
その手をどうしたのかはわからないが 母の頭に白い粉がいっぱいついていて
白い三角巾をした金歯のおばさんが掃い落としていた。
(母の髪を掴んだのか!?)

その頃の人の口の動きや 声の記憶はあるが
言葉は出てこない。

歩き始めてからも
私の記憶は団子をつまみ食いしている類のものが多い。

私はいつも家の裏のドアから
菓子屋さんの裏口に回り勝手に調理場?に侵入していたのだろう
その裏口から入る瞬間の記憶はバリエーション豊富だ。

ハイハイして入って行く感覚もあるし
なんと三輪車で入った事もあった

馬鹿である………

私の悪戯はひどかったのだと思う。
(都合の悪いことは覚えていない)

おじさんはいつも怒っていて、おばさんはたいてい笑っていた。

そして私はいつも粉まみれだった。

菓子屋の受けた損害のことは、さておき....

(いいのかっ!?)



私の家の付近にはパチンコ屋さんがあり、その前で
チンドン屋さんと言われるものすごい人々を見た記憶があるのだが
これは盛岡の繁華街に買物に行った時の記憶とごっちゃになっている
可能性がある。
とにかく、衝撃を受けたのだ。


化粧や衣装がどうのこうの...ではない。
いや、それもあるのかもしれないが
あの音量がとんでもなく怖かったのだ。

それから、物乞いの人々のこともよく覚えている。

母は、何か言いながら、よくわからない何かを渡していたが
それは、3歳で引越しした福島でも同じ光景を見たので
母が何と言っていたかわかる。

ちゃんと働きなさいよ~!!

と言っていた。

そうそう、窓を開けたら猫が寝ていた。
私は、窓の下のトタン製か何かの外壁をバンバン叩き
起きなさい~~~!と何度も繰り返した。
しかし、猫は起きなかった。
しばらくしてから、母に猫が寝ていることを教えると
母は、その猫を土に埋めていた。

猫は、死んでいたのだ。

その時は、死の意味も理解できず
ただ、土に埋められていく猫を見ていた。


それから、今思い出すととても奇妙な記憶がある。

私は、母と一緒にバスに乗っていた。
ボロボロの帽子と、下駄を履いた学生さんが笑ってた。
私のホッペを突いたり、手を握ったりしていたので
私はまだ乳児で母に背負われていたのだと思う。
(多分...)

とにかく、ボロボロの帽子と下駄のその軍団は
何度かバスに乗ったときに見ている記憶があるのだが
あまりにも時代錯誤である。でも、確かに見ている。

この記憶は、割と繰り返しているので鮮明である。
何故、下駄なのか...ということに気がついたのは
20歳過ぎてからだったと思う。
当時は流行っていたのかもしれん。

そして、私は以前「すみれの怪しい感覚」という
記事を書いたことがあるが
この雪の匂いや音の感覚は、もしかしたら
自分が産まれたときの匂いと音だったのではないかと思うようになった。

私が生まれた時、外では雨が雪に変わっていたという。

自分がこの世に仮死状態で生まれ、我慢して我慢して
最初に吸い込んだ空気に雪の匂いが含まれていたのかもしれない。
それとも、病院を出た瞬間の匂いが雪の匂いだったのかもしれない。

スヤスヤと眠っていたときに
外では雪が降り積もり、その音と匂いを
母のぬくもりと共に感じていたから、忘れられないのかもしれない。


だから私は、雪が降るととてつもなく
懐かしい気持ちになるのかもしれない。





テーマ : 発達障害
ジャンル : 福祉・ボランティア

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下駄の軍団は、実存します。

はじめまして。初めて書き込みささせてもらいます。

>>ボロボロの帽子と下駄のその軍団
の説明です。

夢ではありません。現実です。今も見られると思います(^^)。

それは、岩手県立盛岡第一高等学校の生徒、
  それも、応援団所属の生徒の可能性が高いです。

岩手県人なら間違いなく知っていると思いますが、
この高校の校風は「バンカラ」と言われています。
かなり有名な高校です。ハイ。高校名で検索してみてください。

その風習のひとつに、
弊衣破帽(へいいはぼう と読みます=ボロボロの制服にボロボロ学帽)・
下駄履きというのがあります。
戦前の旧制中学の流れを汲んだスタイルです。
応援団(正確には”応援委員”という名称です)、もしくは、
バンカラの校風を気に入って実践している一般生徒が
こういうスタイルをしています(微笑)。
私の頃は、特に、バンカラがブームだったので、
かなりの比率で一般男子生徒もこういうカッコで普通に登校してました(雪の日もね)。
(女子生徒は、学ランじゃないので、出来ませんがね。)

今も、応援委員はこういうスタイルだと思いますよ。
ブームでもなんでもないです。そういう存在なのです。
ちなみに、ボロボロの帽子ということを考えると、
一般生徒ではなく、応援委員の可能性が高いですね。

応援委員は、代々、前の代の先輩から帽子を受け継ぐのです。
特に、団長クラスの帽子となると、ん十年ものといわれており(真偽不明。笑)、
風化が激しかったのを記憶しておりますです(取り扱い注意 と言ってました)。
先輩から引き継いだりしない生徒は、自力でボロボロになるようにしますが、
やはり、歴史の重みがあるもののボロボロ度には、太刀打ちできません(笑)。

岩手県には、他地域と比べると、比較的バンカラが残存していますが、
盛岡市内繁華街で、日常的に見かけたとなると、
盛岡一高の生徒と考えて間違いないかと思います。

卒業生です。ん十年前の。長々と失礼しました。

うちゅうかんさんへ

うちゅうかんさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。

うちゅうかんさんのコメントを拝見して
少々うろたえてしまいました...(笑)
....と、同時に実家に電話をしてしまいました。
母に聞いてみたのですが、やはり
うちゅうかんさんの仰る通りで私は
その名門校の生徒さんを、日常的に
目撃していたようです。

私の中には、それ以外にも様々な
記憶がありますが、それを現在まで親に
確認する事はありませんでした。
今回、私が学生さんの話のついでに
他の記憶もまとめて切り出した事で
今、実家ではかなりの
騒ぎになっております(笑)

何しろ、30年以上前の事なので
何も考えずに書き連ねてしまいましたが
あまりにもピンポイントに書きすぎた
ので、ご迷惑が掛かる事も考慮し
急いで伏字にさせて頂きました。

盛岡第一高等学校、本当に有名な
学校なんですね。
きちんと、検索もさせて頂きました。
校歌も含めて応援歌が13個もあるとか!
ちなみに、バンカラで検索しました
ところ、ものすごい勢いで
盛岡第一高等学校が並んで出てきました

そんな超有名高のお兄様方と
触れ合っていたということは
ある意味、夢だったのかもしれません(笑)
うちゅうかんさんのお陰で
何だか、つかえが取れたような気分です。
その歴史が未だに受け継がれているって
本当に素敵なことですね。
見ず知らずの私のような者に
勿体無いくらいの丁寧なご説明
感謝致します。

ありがとうございました。




○岡

昨日から、めっちゃ悩んでいた。
下駄???ってぇ~?と。
 
そうか、気付かんかった。
バンカラかぁ(笑)納得。
  
っていうか、
うちの叔父さんも兄貴も、
そこの卒業生なのだよ~んっ。
 
で、わたしは、そのバンカラが、
どうしてもどうしても苦手でねぇ~。

合格して隣の席になる…
とか、想像したら…
受験勉強で300満点中
290点を常にとっていても、
 
そこを受験できなかった
破門?裏切り人間、なのだ。
 
とか、思い出すことができた。
ので、
わたしも、
うちゅうかんさん、
ありがとう(^―^)です。
 

雪の匂い・音の記憶。
そして、あの、高い空の記憶。
 
わたしも絶対に忘れられないなぁ。
わたしの場合は、
20歳までそこにいたから、ナンだけど。
 
でも、やっぱり思い出すのは、
3歳頃までの雪の記憶。

冬の○岡に行きたくなったら、
わたしのところのブックマーク
○岡心情さんのところを、ポチっとな。
 
わたしはその写真に、
支えられて生活しているわぁ。

で、ダンゴやさんかぁ。
 
わたしの育った家は、
床屋と美容院に挟まれていたのね。
 
すみちゃんと同じように、
床屋や美容院に、
多大な迷惑をかけた記憶も、
この記事にて再現されたわたしだった(^^;;;
 
隣の家の屋根に登って、
怒られていたなぁ・・・(爆)

ぴーまんさんへ

うちゅうかんさんのお話を伺った後で
もしかしたら、ぴーまんさんの
お兄様もそこの出身かもね。
と思っていた。何か、話に聞くと
ものすごい男臭い男子校のイメージ
だったけど、女子もいるってことで
共学なのね(笑)
ぴーまんさん、そういうの駄目?
私、結構好きかも~
魁!男塾っていう漫画を旦那が持っててね、読んだら面白くてさ
何か、その漫画の世界に似てるのよ。

ぴーまんさんも、かなりの
お転婆だったようで(爆)
あの辺に、牧場みたいなんあったかな?
そこにもよく行っていたように思う。
それから、川....
小学生のお兄ちゃん達に一緒に
川に連れて行ってもらって
自分の靴を脱いで、川に流して
裸足で帰ってたことも思い出しちゃった

いいな~も一度行きたいな。

下駄!

ナゼに下駄???
と思っていたら…へぇ~すごいね!
すみちゃんの記憶の謎(?)が解けたね!
すっきりぃ~~かな?

雪でテンションの上がるすみちゃん…
って事は、今年は既にいっぱい上がってる?
こっちも今年は雪がすごくって
すってんころりんこけちゃったよぉ~(笑)

タルトさんへ

たるちゃん、そっちはそんなに
降ったんだ~
こっちは、積もるまではいかないんだ~
ほんまにちょっとだけだから
遊べるほどはないし、ましてや
コケないんだよ(笑)

そうそう、タルちゃんの
住んでる県に美味しい焼肉屋が
あるとか、旦那が言ってたわ~
数年前まで勤めてた会社で
よく出張に行ってたのよ。
多分、T市だったかな。

牧場。今もあるのよ~んっ。


今、その牧場近所で育った、
『おっちゃん』に、確認したら、

川の名前も出てきたよん。
 
一個は、今もある。
もう一個は、昔流れていたって、さっ。
 
ではではぁ~。

ぴーまんさんへ

ああ、やっぱり~!!
うちね、その頃の写真ってほとんど
ないんだけど、小岩井農場で撮影した
写真が何枚かあるの。
でも、思い出すのはそことは違う
牧場なんだよね。
なんか、すげー嬉しいぞ!!
あとね、岩手山のことも思い出した。
岩手山、素晴らしい山だったわ。
めっちゃ鮮明に憶えてるよ。
何しろ、3歳前の記憶なので
それが岩手山かどうかは定かではないが
絶対にあれは岩手山だ(爆)
だってめちゃめちゃデカイもん。

そうそう、宮沢賢治とか石川啄木も
その高校の出身なんだってね。
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