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私の中のアスペルガー前編

ここ数日はショックで
障害と向き合う事が出来ずにいましたが
ようやく記事にする決心がつきました。

やはり、私はアスペルガーでした。

思えば、私の歩んできた道は普通ではなかったかもしれません。
ここでは公開できない事もたくさんありますが
私が思い出した範囲で
そして公開してもいい範囲で記事にしたいと思います。

母の話では、私はとても泣き虫でいつも大声で
泣き喚いていたそうです。
その泣き声で近所の人が、母が虐待しているのでは...
と怪しんで 様子を見に来ていた程だったそうです。

でも、私はいつも母の背中におんぶされていたので
その度に近所の人は安心して帰っていったようです。
とにかく泣き止んで欲しいがために
母も色々試しては困り果てていたそうです。

この話を、私は幼少期から何度も聞かされました。
モモが生まれて、同じように泣き止まないモモを見て母は、

すみれの子だから仕方がないと言いました。

私も、泣き虫や癇の強さは遺伝するものだと
そんなものだと思っていました..

物心ついた時から、私は人に触られることを極度に嫌いました。

そのくせ、自分からの接触は積極的で

「一緒に遊ぼう!」と
肩を叩いたり腕を掴んだりするのですが
力の加減がわからなかったらしく
お友達が突き飛ばされたとか、叩かれたと言って泣き
私は乱暴者!のレッテルを貼られてしまっていたようです。

3歳からピアノを始めて
絶対音感があると言われました。

でも練習はまったくせず
毎週先生に本を投げられたり、時には叩かれたことを
記憶しています。
その為、ピアノ教室を2度変わりましたが、最終的には
高校まで続けました。
練習嫌いで先生のお話も全く頭に入らず
年数の割には 上達することなく辞めました。
音を当てるのは得意ですが、何故か歌は上手くありません。

小学校に入り
親が学校に呼び出されることが何度かありました。
傘を水溜りに入れてそれを開いては
水しぶきが上がる!
それをクルクル回すともっと水しぶきが飛ぶ。

それがとても楽しくて
混雑したバス停で雨が降るたびやっていました。
周りはとても迷惑で
私に対し文句を言ったり
嫌な顔をしていたと思うのですが
私には周りがちっとも見えていませんでした。

無意識でいつも体操着袋を振り回していて
それが友達の顔に当たり
友達が鼻血を出してしまったことがありました。

とても悪いことをしたのはわかったし
親にもこっぴどく怒られ泣きながら反省したのですが
また次の日からクルクルしていたそうです。

算数は特別得意ではなかったのですが
二年生になり九九の勉強が始まると
一~九の段まで一日で暗記してしまい
母や先生に「天才!」 と言われ
学校では九九博士ともてはやされました
(小学校時代の唯一の特技。笑)

それが、親の期待を助長してしまったのでしょう。
記憶で乗り切れる教科はできるのに
自分で考えて応用する問題はまるで 駄目。。。

でも、両親は「あなたは頭がいいんだから」
とずっと言い続け
私も高校までは自分が出来るんだ!
と大きな勘違いをしていました。

勉強は、テストだろうが宿題以外1度もしたことがありません。
それなのになぜ、問題が解けたのか...
テストの時に
その問題に関連した授業の黒板を正確に思い出すことが
できたからです。

一番右端に書いてある、日付や日直の名前まで記憶していました。

これが特別な能力だったと知ったのは最近のことです。
そんな事は皆がやっていると思っていました。

そのかわり
先生が黒板に書かずに口で説明したものは全く出来ない!!

だからよく
「これが出来て、これが出来ないというのはおかしい!」
と叱られ 時にはカンニング疑惑までかけられました。

歳と共に記憶力は低下していき
今では関わりのある人の、車のナンバープレート
と電話番号しか記憶できません。
歳や誕生日は全く覚えられません。

でも、小学校から中学までの全校生徒の名前
同じクラスだと、出席番号や席の配置。
何度か電話をしたことがある人に至っては
電話番号も未だに記憶しています。

全く役に立たない情報で私の頭の中は
いっぱいになっているんでしょうね。

些細な出来事、大事なことでもすぐに忘れます。
メモをとっても、メモをとったことすら忘れてしまいます。
旦那と喧嘩していても、たいてい喧嘩の途中で
何で喧嘩しているのか忘れるし、
怒られている時、はじめは泣いたりしているのですが
親や教師の後ろの壁の目地を数え始めたり
ズボンに毛玉がついていたらご丁寧に1つずつ数えました。


途中で

何かいいたい事があれば言いなさい!

なんて言われても
何で怒られているのかわからなくなっているので
ポカーンとしていました(笑)

でもその態度で余計に怒られる事を学習してからは、
「何も言うことはありません。ごめんなさい」
とひたすら謝る様になりました。

高校では、記憶力だけで切り抜けられず
赤点を取って担任に呼び出された時のこと。。。

ガミガミ怒っている担任の後ろには
出前でとったラーメンがありました。
怒られているのに私は
そのラーメンが気になって気になって仕方がなかったのです。

食べたいのではなくて、伸びるのを心配していました。

担任は、日教組の先生でとても教育熱心だったのです。
ラーメンなんかより、私の事が優先だったのです。

それなのに私は、ありがたいお説教も上の空。私の全神経は
ラーメンに注がれました。

言いたい事を言い切った担任が、優しい口調で

「どうだ!頑張ってみないか!」
とおっしゃってくれました。

話はほとんど上の空だった私...

でも、ラーメンも食べずに一生懸命話をしてくれた担任に
感謝の気持ちで一杯でした。

「はい。頑張ります」そう答えるつもりが



先生!!ラーメンのびました~!!



こんなことばかりです。

自分の気持ちとは裏腹に、とんちんかんなことばかり答えてしまう。
それで誤解されたら、必死で言い訳していた子供の頃。
言い訳すると、相手の怒りが増長することを学習してからは
言い訳することもなくなりました。



この記事は明日に続きます。

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コメント
2006-07-10 15:16:13
以前NHKの「ハートをつなごう」で大人になってから発達障害がわかった方々が、口々に「わかってほっとした」「うれしかった」と言われているのをみてそんなものなのかな、本当にそうなのかな、と思ってました。
確かに、それまでイジメを受けたり親から責められたりしたことの全部が自分が悪かったんじゃないんだってわかって、そういう気持ちになるのは自然かな、とも感じました。
何かコメントを・・・と思って書き出しましたが
後編を読んでからにさせてもらいますね。

そうかも

2006-07-10 17:32:44
私の場合は、子供に遺伝させたかも...という
罪悪感が一番大きかったです。
でも、わかってホッとした気持ちはやっぱりありますよ
何より、我が子に生きた教育ができる!(笑)
私が学習してきた事、努力した事をそのまま
教えたらいいんだ~
と前向きに捉えています
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