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占い 3

最近のこと。

同僚にある占い師の話を聞いた。

うちの娘、高校生の時に子供が
出来てね…。
相手の子も高校生なのに
産んで結婚するって言う訳よ!

堕しなさいと言っても聞かず
相手の親も産んで下さいって…。


困り果てた同僚は
その占い師の下へ相談に行った。

占い師は、産むも堕ろすも
結婚するもしないも自由ですよ。
自分で決めなさいって…。


でも、お腹の子は
可愛い女の子です。

とだけ伝えたと言う。


そして産まれた孫の写真を
嬉しそうに見せてくれた。
そこには可愛い女の子がいた。


また違う同僚の話を聞けば

毎朝、仏壇を綺麗に綺麗に
磨いているのはありがたいが
あまり朝から無理して頑張らず
たまには手を抜きなさいって
言ってますよ。

と言われたとのこと。

もちろん、彼女もその占い師とは
初対面で家に仏壇があることは
もちろん伝えていないし
それに繋がるような話も一切して
いなかったと言うから驚いたものの
あくまでも私は半信半疑であった。

昔の自分なら飛びついていただろうが、今の私には何も信じることが
出来ない。

私たち崩壊した家族は
7年の間毎週日曜日には
3箇所の寺社を巡りお参りをしていた。
毎月の墓参りも欠かさなかった。
それにより良い事が起きた訳ではない。
それでも、今生きていることに
感謝して手を合わせた。

2011年になっても半年は続けた。
しかし、マルが一緒の空気を吸いたくないと出かけるのを拒否し始め
家庭内別居状態になった私たち夫婦も次第にお参りどころではなくなった。

見返りを求めていたつもりは
なかったがこうも不幸続きだと
貴重な時間をさいてまで
行く必要性が見出せなくなっていた。


さて、その占い師の話に戻る。


人には動いて良い月とそうでない月があり、そうでない時に動いた時に
私が味わったような負の連鎖に
陥る可能性が高いという。
その占い師は、それを詳しく
教えてくれいただいたカレンダーは
一生役に立つとのこと。

それは私の心を少し動かした。
更に、その占い師は肺癌で
高齢であることを知り
私は、会いに行く事に決めた。


料金は2千円だったか3千円で
それ以上は何もかからない。
なんてこったい。
安いじゃねーか。

つづく



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占い 2

オープンしたてのカフェの片隅で神経質そうな痩せた中年女性が、煙草をふかしコーヒーを飲んでいた。

私が向かいの席に座ると
こちらをジッと見つめて
守護霊について語り始めた。

あなたのおばあちゃん。
働き者で畑仕事をよくする方ね。


… … …。

はぁ……。


そこでまた煙草に口をつけ
煙を吐きながら

この方は、私と同じで
霊能力を持っている方やね。

と、女性占い師は頷きながら
こちらを見つめた。


… … … 。



あの…守護霊は1人ですか?



そうや。1人の女性やね。
思い当たる?



私の父方の祖母は、確かに昔
大きな畑を借りていたことがある。
しかしながら、働き者とは無縁。

母方の祖母は、女手ひとつで
母達を育てたので
働き者ではあると思うが
畑仕事とは無縁。

霊能力など無縁の家系だったが
ひとつ思い当たるならば
母方の祖母の妹が神主をやって
いたはずだ。

3人集まれば該当するが
1人となると、違う。

説明すると、それに合わせて
くるような気がしたので
私は、さぁ…思い当たりません。

とだけ答えた。


聞きたいことはひとつだけ。
守護霊とか前世とか
私にはどうでも良かった。
2011年から続いてきた
病気、事故、身内の死、病んでいる
娘、この状況はいつ終わるのか?

更にまだ追いうちが来るのか?


そうなら、私はもう
生きてはいけないような気がする。
気力も金も思考力も何も
残っていやしない。

この占い師が
インチキだろうが
本物だろうが

私は、ひとつだけの答えが
欲しかった。

2011年から
2012年までに起こった出来事を
一覧にまとめたものを
彼女に渡した。

彼女は、うんうん
書かなくても、読まなくても
私にはわかるわ。
といわんばかりに、妙に何度も頷き
時折目を瞑り、暫く無言で
大きな溜息と共に私の目を見つめて
涙を流し始めた。


大変だったわね。
と、一言では片付けられないね。
これだけの事がこの一年間で起こる
なんて、あり得ないこと。

あなた生きてる。

多くの人は、これ全て
乗り越える前に死を選ぶか
心が壊れてしまいます。

よく生きて、ここに
来て下さいました。


私の心はとっくに壊れてるけどね。
それは見えていないのか?
私は、そんなに強い人間に見えるか?


占い師は、石を繋ぎ始め
器用にブレスレットのようなものを
作り出した。



買うつもりなんかないのに
どうしよう…。

すると、彼女はそれを
私に握らせ
家のどこに置けば効力があるか
説明した上で


お代金はいりません。
それとね、あなた…


もうね、一生分の苦難を
乗り越えたからね(^^)

これからは、よく笑って
暮らせるから。


大丈夫。


ここで、私は初めて泣いた。


欲しかった答えがそこにあった。


もう終わったから
大丈夫。
もう何も起こらない。


出まかせでも何でも良かった。
ただ、ただ私はその言葉が
欲しかったのだ。
そしたら、あと少しは
生きていけそうだったから。











占い 1

過去を振り返る作業はしんどくなるので違う話を

占いというものを信じます?
今回は2人の占い師の話。

私は、信じやすい体質で
それにハマることはなかったけれど
子供の名付けや、家を建てる際の
風水にはかなり拘った方。

風水はね、完璧に施しました。
図面作成して、風水師さんに
見てもらったところ…
直す箇所がないとお墨付きを
頂いたくらい。

でも、家を建ててから
癌になり、義父も脳出血。
マルも大変なことになり
結局、家族は崩壊した。

風水とか、占いとか
関係ないんだろうなぁって。

名前だってそうだろう。
流派とか、旧字体とかで
変わる字画も考慮し
たいていの流派で大吉となる
字画で名付けしたんですよね…。

パソコンなどなかったから
本屋さん、図書館、めちゃくちゃ
時間かけて名付けました。

大吉って(笑)

うち、2人とも障害ありますけど?

学校に2人とも行けませんけど?

自殺未遂はするわ暴れまくりますけど?



事故や大きな病気にならず
ここまで生きて来れたのが大吉


なんて、綺麗事だね。


占いなんて関係ない。
どうでもええわ。


とはいえ、人が信じるものを
否定するつもりはさらさらない。


私が離婚する前に、とある方の
紹介で占いに行くことになる。

料金は安くはなかったが
私の状況を心配して下さってのこと。
魔除けのブレスレットを
客の体調や状況に合わせて
その場で作ってくれるが
購入は強制ではないと言うことで
出かけてみることにした。

つづく

コメント

時間が空いたらiPhoneより
少しずつ書いています。
パソコンとは違うのかな。
拍手にあるURLに飛べません。
メアドも確認できません。

ごめんなさい(*T_T*)


それから、私のメアドも変更しています。
以前あったメールフォーム宛のアドレス
なくなっています。

ホームページもドメインの更新しないまま
でしたので消滅してしまいました。

ご連絡はコメント欄から
お願いします。

義父倒れる

2月には義父が脳出血で倒れた。

私の子宮の病気が
義父の脳出血の原因だったそう。
心配をかけたからだと
家族は思っていたようだ。

手術の待機中には
パニック状態の義妹が
毎日どんな食事をしていたのか?
塩分には気をつけていたのか?
と義母とコソコソ話していた。
食事を作っていたのは私だ…。


誰かのせいにすることで
気持ちが楽になるのだろう。
それならそれで良い。


気付けば昼を過ぎていた。
手術はまだまだ続きそうだったので
病院に来る前に急いで買ってきた
おにぎりや、サンドイッチを
勧めた。

その中に、お赤飯のおむすびが
一つ紛れ込んでいた。


今にして思えば不謹慎だとは
思うけれど、
私も全く余裕がなく
ただただ急いで籠に放り込んで
しまったものだったから
デリカシーがないと
文句を言われると
辛いものがあった。

あくる日より
仕事の後に毎日病院に通った。
年明けから体調はかなり悪かったが
出来る限りのことはしたかった。

ある日、義父の病室でお見舞い中に
私が倒れてしまい
病室からストレッチャーで
担ぎ出されたことがあった。

義母は

この子、持病があるんです!


と大声で叫んでいたようだ。


よほど心配しているのだろうと
周囲はみな感じていたようだが
違っていたようだ。


嫁をこき使ってるみたいで
恥ずかしいから
もう来なくてええわ。
土日に息子と来てや。


とのことだった。


私に負担をかけまいと
わざとキツイ言葉を言った訳ではない。


自分がこき使ってると
思われたくない一心で持病と叫び
さも心配しているように
振舞ってはいたが

隣の治療室で数時間休んでいた
私の顔を
見に来ることもしなかった。

この日を境に

私は、もう無理して
自分を犠牲に義母につくすのは
やめようと思った。
やるべきことはする。
それ以上のことはしない。

ただでさえ、この家にいたら
やるべきことがあり過ぎて
余裕なんてないのだから。

横須賀の友さん

元気なのかな?

目は大丈夫かな?


ずっとずっと、思い出してたぞー!

父との別れ 3

雪の福島空港に
迎えに来てくれた妹は
普段と変わらない様子だった。

車の中で、誰かからの電話を
受けた妹が
私の存在を気にして話にくそうにしているのを見て
私は父がもう亡くなっているのだと
悟った。


覚悟はしていた。


コンビニに寄ってもらい
雪が降る中震える手で
煙草を吸った。

数年ぶりに吸う煙草は
ほんの少し、気持ちを落ちつけてくれたような気がした。


車が動き出すと
妹が

お父さん、亡くなったよ。


と、一言だけ呟く。



後部座席でいきなり
マルとモモが泣きじゃくる。


うん。 そっか。
何時に?


父は、私が荷物をまとめている間
母の電話から間も無く亡くなっていた。


どっちにしろ、間に合わなかった。
私がもし、地元に住んでいても
到底間に合わなかった。

だから、大丈夫。

約20年。20年も父は病と闘い続けた。
最期は、肺炎で呼吸もままならず
常に酸素を持ち歩く生活だった。


安らかな最期だったと聞いて
私は、これで良かったのだと
言い聞かせた。

大丈夫。


11月に私が送ったメッセージが
最期のメッセージとなった。
一つだけでも感謝の気持ちを
伝えられたこと、それが私を
支えてくれた。




父との別れ 2

2010年の秋
家族で長谷寺の紅葉を見に出掛けた。

今まで父に風景写真など
送ったことがなかった私だが
ただ、なんとなく
この風景と成長した娘たちを
写真に収めメールしたい気持ちになった。

もうすぐ約40歳の誕生日を迎えること、関西での生活が東北で生まれ育った時間を超えてしまっていたこと

今の自分があるのは
父、母のおかげであること。

たくさんの感謝の気持ちはあったが
照れくさいので一つだけ
伝えた。

小さい時から、私は話をするのが
とても好きでした。
お父さん、お母さんが
どんな些細な出来事でも
よく聞いて笑ってくれたから。

そのうちに、もっと喜んでもらいたい、もっと笑って欲しいと
話し方を工夫するようになりました。

私の周りには、涙を流して
お腹がよじれると笑ってくれる
友達がいます。
いつの時代も、私の周りには
そんな友達がいて
笑いが溢れているような気がします。

自慢できるようなこと
何もなく、親孝行のひとつも
出来ない娘ですが
私は、今とても幸せです。


父との別れ 1

2011年の正月明け早々

電話を取る私に
母が例の言い回し。


落ち着いて聞きなさい…


この20年、父はいつどうなっても
おかしくない状態だった。
だから私はいつでも覚悟は出来ている
つもりでいたが
お正月の元気だった父の様子を妹から
聞いていたばかりに
少々事態を飲み込むには時間が必要だった。


父は今朝救急搬送されたと言う。
話せるし、元気になってきたから
大丈夫なのだけどね…と母。


しかし、泣いたり
パニックを起こしている暇はない。
父に会いたいのならば
私は早急に進まなければならない


飛行機の時間を確認。
1日2便の福島行き。
今から急いで支度をすれば
夕方の便に間に合うようだ。
ダンボールに適当に荷物を
放り込み早退させた子供たちと
空港に向かった。

ダンボールには、喪服を入れた。

不謹慎だと自分でも思うが
迷っている暇はなかった。
後で父が回復し、笑い話になればそれでいい。


私にはわかっていた。
本当はわかっていた。

母が、私に父の容体を
報せて来ることは
危篤であるということ。

遠くに住む娘に
心配をかけまいと、救急搬送されようが入院しようが
1度も報せて来たことなどなかった。

全てわかっていた。


11月に、私は父に生まれて初めて
長いメールを送った。


父がいなくなる前に
言っておかなければならないと
考えた訳ではなく
なんとなく、ただなんとなく
父に伝えたいことがあったから。


つづく

ありがとう

2011年から、私はどうやってここまで生きてきたのか
あまりにもさまざまなことがいっぺんに起こりすぎて
今ここでいったん整理しておこうと思い立った。

パソコンの前に座り、こうして文字を打つのも本当に久しぶりで
ブログの機能も変わっているので少々時間がかかりそう。。

コメントありがとうございます。。

数年にわたるコメント読ませていただきました。
お返事できなくてすみませんでした。

たまに覗いてくださり、私を忘れないでいてくれた方々
ありがとうございます。。

試しに投稿

パソコンの打ち方を
忘れてしまった…。(笑)

少しだけ書きたくなってきたので
ボチボチ更新しよ。
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