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今、ここにいる奇跡 6

あれから、何年経ったのだろう




私は、海外のとある国へ行った。


この旅は、ちょっとした手違いの連続だった。


まず、出発予定日がズレた。

そして、出発直前になり
コースの変更があったという。
(詳しいことは聞かされていない。)


その国での移動は、飛行機も利用したが
殆どが車か列車だった。
列車では
どこまでもどこまでも同じ景色が続く
この国の壮大さに、心打たれた。
(何たって三国志が大好きだからね。)


車に乗っても、列車に乗っても
日本では、あまり体感できないような揺れとスピードに
滞在数日を経て、ようやく身体が慣れてきた頃だった。

んん?何だか.........???
速度が変わったような....

列車は、駅の手前でもないのに
突然 スピードを緩めたように感じた。


そして、長く大きな汽笛を鳴らした。


物悲しい汽笛が鳴る中で


ガイドさんが、沈痛な面持ちと
たどたどしい日本語で

「ココノアタリ 事故現場です。」
と 告げた。

口をすぼめるように話すのは
慣れない日本語だからなのか?
それとも、母国語でもそのような
特徴的な話し方をする人なのだろうか?

私は、ガイドさんの言葉よりも
その口元に注目していたため
周囲よりほんの少し、事態を理解するのが遅れた。

え.....?


思わず手を合わせた私達は
言葉も無かった。

少し出遅れた黙祷をささげながら
数日前に目にしたばかりのあの凄惨な映像が
はっきりと脳裏に蘇る。


まるで叫び声のようにも聴こえる汽笛は
私の脳内でいつまでも鳴り止まず
寒くも無いのに歯がカチカチ小刻みに
噛み合う。ただひたすら、手を強く握り合わせ
祈りを捧げるしかなかった。


今、思えば.....まだその頃の私は...
そのあまりにも衝撃的な事実を
自分の中でどう受け止めたらいいのか
わからなかったのだと思う。
その背景にあるものや、人間の気持ち
そして、命の重さについて
今ほどは理解できていなかった。

今でも、全部は理解できるはずもない。
しかし、20年を経て 
子供が生まれ、身近な人間の死や
世の中の不条理も味わった。
ただひたすら、祈ることしか出来なかった私は
歳を重ねるたびに、あの時より重い気持ちで
人に対して思いを馳せる。




私達はその列車に乗る予定だった。


同じツアーに、関西地方にお住まいのご夫婦が
参加されていた。
旅行後も、うちの両親とやり取りを続けており
私が、結婚で関西に来たことをとても喜んでくださった。

実は添乗員さんは、ご夫婦の姪御さんだったそうで
私は、あの旅行から10年以上経ち、ご夫婦のお宅で
衝撃の事実を知ることになったのだ。


手違いで席の手配が取れていなかったそうだ。
それに気がついた時には、すでに 修○旅行生が
手配済みになっていた。
それによるのか、他に原因があったのかは
わからないが、日程の見直しをし
更に、事故の影響で いくつかのコース変更を余儀なくされた。


そういえば、手違いの連続だったあの旅行は
なんだったのだろう?
予約していたはずのお店で食事ができなかったり
帰国の便も手違いで手配されておらず.....
結局、滞在日数も延びた。

旅行会社は、数々の失態のお詫びにと
帰国便の座席をファーストにアップグレードした
ほどだった。


その当時...事故の3ヶ月前には、大鉄道事故が3件も連続で発生し
計100名以上の方が犠牲になっていたという...
そんな状況を日本の旅行会社は把握していたのだろうか?
恐らく、していなかっただろう....
私達も、知る由がなかった。

それに、事故後 間もなく復旧し
あの恐ろしいくらいのスピードで駆け抜けていたあの列車
僅かに、事故を連想させるのは、汽笛とほんの少し緩めた
速度のみであった。
数日前に歴史的な大事故があったというのに
何も変わらないように見える日常がそこにあった。


その真実を聞かされる前から
あの列車の中で、祈りを捧げた日から
私の中では、何度も何度もあの汽笛が鳴っている。
記憶というものは、否が応でも薄れていくものだ。
しかし、あの記憶は私の中で風化することはない。

20年後に私の命があるならば
私は、今よりもっと重い気持ちで受け止めることが
できるのだろうか?

あの時期、あの場所に、私が導かれた意味を
これからも探し続けるだろう。












 
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今ここにいる奇跡 5

当然、マルは ラーメンを口にできず

せっかく頂いたラーメンは、伸び放題だった。


ご夫婦の下へ、新しいカップ麺を届け
私は、マルの食べられなかった伸びたラーメンに
口をつけた。
この世のものとは思えない代物だった。
しかし、その物体を私は気力で平らげた。

下に降りて行って、そっとゴミ箱に捨てるのは簡単だったが
それでは、せっかくのご好意に背く事になるような気がした。
私の両親と同年代のご夫婦の さりげない優しさに
私もさりげなく応えたかったのだ。
(全然さりげなくないのだが(笑))

すでに、到着予定時刻より5時間が経過していた。


マルは、相変わらずだ....
自分のリュックに入れていたお茶を少しずつ飲みながら
黙って眠っていた。


すっかり打ち解けた 前のご婦人が
この旅の目的を東北弁で話し始めた。

聞けば、娘さんが関西に嫁ぎ 出産真近だそうだ。


迎えに来ているはずの娘さんが心配するからと
ご主人は、バスを降り 電波の届くトンネルの外へ
出て、電話をかけたそうだ。


あれは.......復旧まで相当時間がかかる。
すごい事故だぁ....



このバスから、数メートル先の惨状をご主人が手短に説明してくれた。


娘さんからは、事故についての詳細な情報が得られたという。


事故は大型トラックを含む10台前後の玉突き事故。
トラックが炎上しており、死傷者も出ているとのこと。

トンネルを抜けてすぐに、このバスも止まるはずの停留所がある。
事故は、そこで発生しているようだった。


バスが再び動き出したのが、そこから1時間ほど....


電波が入るや否や、メールが届いた。
そういえば、私がこのバスに乗っていることを知っている人間はいない。
私の実家の家族は知っているが、バスを降りてから
用事をして帰ると言っていたので、私からの無事帰宅したという
電話がなくても、心配するほどのことではない。

メールは 私の友人からだった。


なっちゃんでも、アヤッチでもない でも大切な友人からだった。


彼女は、ただ一言  私達の安否を気遣う言葉を電波に乗せていた。


私は、何故彼女が、私達がこのバスにいることを知っているのか
とても驚いたのだが、彼女が心から私達を心配しているのは
わかった。そういう人だった。
きっと、返事があるまで何も手につかないに違いない...

携帯の電池は、すでに切れていてもおかしくなかった。
いつもは、電池が1本になったら最後 1時間以内で
電源が切れてしまうはずの私の携帯が
少なくても6時間は持ち堪えている。
しかも、この携帯は 彼女のメールを受信してくれた。

私は、電池が切れないように慎重に、ただ一言

無事です。 と書き込んだ。

この言葉を彼女の元に運んでくれるのか....
私は、祈るような気持ちで画面を見つめた。


画面の中の 封筒は ユラユラと舞い上がり

送信しました の表示が
一瞬見えた。


そして、携帯は断末魔の叫びのような電子音を鳴らし
動かなくなってしまった。



結局、6時間 私達はトンネルの中で停車したバスの中で過ごした。


バスに乗り込んでからの時間は20時間。
子供達の疲労も限界だったに違いない。
ましてや、マルは高熱を出しているのだ。

私は、コンビニに入り手荷物をすべて宅配便で自宅へ送る手配をした。

携帯と、財布のみをポケットに入れ
マルをおんぶした。

マルは、歩ける!と言っていたが、私はそうしたかった。

いつもは、モ~ちゃんも!モ~ちゃんも!

と大騒ぎで、マルを私に甘えさせたことがないモモが
珍しく黙って後ろをついてきていた。



メールの友人には、帰宅してすぐに感謝のメールをした。

そこで驚くべき事実を知った。


彼女は、昨夜....そう。私があのバスに乗り込む頃から
私と同じような胸騒ぎを感じていたのだという。
私が、その日のその時間に バスに乗ることなど
彼女は知る由もなかったのだ。

不安な気持ちで眠りについた彼女は、朝一番で
あの事故のニュースを目にすることになった。
そして、私達がそこにいることを確信したのだという。

返事がないことで、彼女にはどれだけの精神的な負担があったのだろうか?
トンネルの中で停車していなければ、すぐに安心させることができたのに...


胸騒ぎを感じた夜から、彼女は祈り続けてくれていたという。
そして、私はその祈りに助けられたのだと 今でも信じている。

なぜなら


その後に目にしたニュースでは、こう伝えていた。


7時06分 バス停前にて起きた事故..............



7時06分........... ???




私達が乗ったバスは、その停留所に7時06分 数分たがわずその時間に
到着予定だったのだ。


何の事情かわからないが、数分バスを下車した男性...
あの男性が下車しなければ、炎上していたのは 
バスの方だったのかもしれない。

些細な偶然が人生の岐路になること....
私は、それを知っている。

今から20年ほど前のあの出来事を私は思い出した。





つづく



私信 Flore様

あまりの嬉しさに返信の返信をしてしまいそうになりましたが
我慢しました。 ありがとうです。






今ここにいる奇跡 4

奇跡シリーズが、あと2回とお伝えしましたが
2回では終われそうもないです。
この記事で触れる出来事の他に、もう1つの出来事があり
デリケートな問題は、この記事のことではございません。
まあ....この記事も相当デリケートかもしれませんが...


以前のココロのひろばを閉鎖して間もなくの出来事だった。




私は、娘と三人で東北にある実家に帰省していた。
初めて子供連れで乗る夜行バスだったので
もし、周囲に迷惑がかかることがあってはいけないと
往復 一番後ろの席を予約した。

そのような心配は無用だったことに
乗車後すぐに安堵した。
2人とも、外の景色や 好きなゲームをしたりと
それぞれの時間を過ごしてくれていたのだ。

しかし、私は何故か 漠然とした不安を抱えていた。

モモと違い、私には 不思議な能力はない。
霊体験らしい霊体験もないし

何だか今日は胸騒ぎがしてならない....という

予知能力のような感覚も、持ち合わせていない。



無事に、実家へたどり着いた時には
やはり、あの 漠然とした不安は気のせいだったか
それか、祖父母に モモの障害のことを告白する緊張感から
あのような精神状態に陥ったのだと思った。


そして、すべてが終わり関西へ帰る日.....


私達親子は、行きよりもちょっとだけ古い型のバスに
乗り込んだ。
型が古いのかどうかの確信はなかったが、デザインは前の
方が良かったな...なんて どうでもいいことを
考えながら 乗り込んだ。

すると....


やはり、乗り込んだ瞬間
行きに感じた あの不安感が押し寄せてきた。


なんなんだ?なんなんだ?


私は、首にかけているお守りを確認した。

このお守りは、ある神社で

モモには強すぎる”気”が あり
それにより、私にも影響が出てしまう という
ようなお話を受けて、神主さんが私にくださったものだ。

私は、無宗教で そのようなお話も
胡散臭いと感じることが多いのだが
そこの神社では、お札をくださろうがお守りを下さろうが
料金を受け取らないのだ。
御祓いや、↑の記事にしたような相談でも
1000円か2000円という所で、それ以上の勧誘も何もないので
少なくともお金目当てで、胡散臭い話をしているのではないと
確信できる。

そんなことから、私は その神主さんの言葉を信じ
お守りをいつも持ち歩いていたのだ。


シートを倒してみる....


しかし、このバスというものは

壁が薄すぎる.....


頭の後ろには、すぐ壁があり
もし、追突事故があったら
私達って、ものすごく危険な目に遭うんじゃないか?
って思った。

この次に、乗ることがあれば

絶対に、真ん中の席を予約しよう!!


そう思いながら、いつの間にか眠りに落ちた。


夜の間に、何も起きなかったことを感謝した。
何故、そんなことを朝一番に感謝したのかと言えば
やはり、あの漠然とした気持ちの悪い不安感が
まだ、残っていたからだった。

とある駅でバスは一旦停車した。

ここは、休憩所でも 停車予定の駅でもなかった。

バスを乗客の1人が降りたようだった。


隣を見ると、子供達はまだ寝ている。
私も、こっくりこっくり 短い間隔で
深い眠りに落ちる....←これ、得意技!

バスは、まだ停車しているようだ。

もう一度深い眠りに入りかけようとした時

モモが、私にトイレに行きたいと告げた。


まだ、ボーッとした頭で2階建てバスの階段を下りると
出入り口のドアが開いていた。
開いたドアの外には、バス会社の方が立っており
先ほど降りた乗客だろうか?
1人の男性が、小走りで 「すみません」と一言声を掛け
バスに乗り込んできた。


バスは、発車した。



席に戻る頃には、私の頭も冴えて来た。

実は、ここまでの朝の記憶は すぐには思い出せなかった。
近くに座っていた乗客の話と、時間が経って自力で思い出した
記憶を再現してみた。



このバスは、午前○時頃○○付近で○キロの渋滞に巻き込まれ
○分遅れで、○休憩所を出発。
現在5分の遅れでございます。


みたいなアナウンスが流れた。

高速道路に入った。
帰省ラッシュの時期だというのに そこからは
本当に軽快な走りだった。
5分の遅れなど、目的地に着くころには解消しているだろう。


しかし、とうとう 渋滞が始まったようだ。

ここは、トンネルのどの辺りだろうか?

トンネルの中で停車したバスは、微動だにしなかった。

渋滞にしては、動かない。


対向車にも、全く動きがないのが不気味だった。

時間を確認しようと出した携帯電話の電池はあと僅かだった。

トンネルの中なので、もちろん不通である。


しばらくすると、バスはエンジンを切った。
何があったのか、まだ私達は知らなかったが
周囲に停車された車からは
作業着の男性やスーツの男性など数人が降り
携帯を手にトンネルの出口に向かって歩き出したのが見えた。


車をそこに停めたまま、携帯の電波の入る場所まで
徒歩で移動している....ということは
車はしばらく動かないということを確信しての行動だろう。

事故だろうか....?

私は、カーテンを開けて外の状況を観察していた。


バスの周囲に止まった車の中では
人々が一様に苛立ちを見せていた。
その中でも、非常に気になったのは、携帯を持った男性が
近くにいた別の男性に

くさい!くさい!


と、言っていたことだった。

声は全く聞こえなかったのだが、くさい!という
口の動きと表情で、男性がその言葉を発していたのは
確かだった。


私の心臓の鼓動が、少しだけ高鳴った。


お客様に、お知らせ致します。
前方 ○○停留所で 玉突き事故が発生し
車両が炎上 犠牲者が出た模様です。



サイレンの音が聞こえる。


周囲の車は一斉にエンジンを起動し、道を空けた。


ものすごい勢いで消防車と、救急車、パトカーが列をなしてやってきた。
その音は、そんなに遠くない場所で止まったので
事故現場は、近いのだと推測できた。


サイレンを聞いたモモが、とても不安がって
早く帰ろう!早く帰ろう!と繰り返したが
荷物の中からパンを出して、モモに与えた。
大好きなパンを見たモモは、それで上手く切り替えられた。

ふと、マルを見ると
少し、様子が違う.....

やはり、バスの中で寝るのは疲れるのだろうか?

どうしたん?何か飲む?

うん。いらない....



私は、おでこを触ってみた。

熱い!!急いで荷物の中から体温計を探し熱を測った。

38.5度........


マルが寒い寒いと震えるので、私とモモの毛布と
荷物の中に入れていたひざ掛けをかけた。
少しだけ無理してもらい、持っていたゼリーを食べさせ
これまた準備していた風邪薬を飲ませた。

(これだけ準備万端なのは、帰省の際に必ず
誰かが熱を出すのだ。昨年は私だった...)




モモは、どうしたんだろう?


パンを預けてからというもの....とてもおとなしい。

しきりに、マルちゃん大丈夫?とマルの様子を伺っている。


ゲームをやってもいいですか?と聞いてきたので
私は、二つ返事で了解した。
モモは、早速イヤホンをつけてゲームを始めた。

ゲームをしながらも、マルの方を何度も何度も見ている。



すでに、バスは停車したまま3時間経過していた。



いつになったら、バスは動き出すのだろうか・・・・・?
マルの熱は、すでに39度を超えていた。



しかし、ここのバス会社の運転手さんの対応は素晴らしかった。


まず、事故があったことを伝えた後で車内を巡回し
飲み物と、食べ物が車内にあることを告げ
車内の温度調節や、具合の悪い方はいないか?と
とても 誠意を持って1人1人に対応してくださっていた。

モモが、勝手に

マルちゃん熱があるねん!!と、得意げに教えてしまったので
大層心配してくださったが、私が薬もあり
本人も大丈夫と言っているので....と伝えると
氷を持ってきてくださり、マルに優しく声を掛けてくれた。

2人の運転手さんは交代で仮眠を取っているとはいえ
これだけの乗客を乗せた長距離バスの運転は
かなりの激務だろう.....
足止めを食っている間に、仮眠を取る訳にも行かず
こうして、私達が少しでも快適に過ごせるように
出来る限りのことをしてくださっている。

お昼になると、バス側で準備してくださっていた
カップ麺のお湯が間に合わなくなってしまった。
私達は、朝にパンを食べたので
朝ごはんも口にされていないだろう周囲の方々に
先に食べていただこうと、取りに行くのは最後にしようと
子供達にも言い聞かせていた。

お湯が無くなったので、次のお湯が沸くまで
時間がかかります
との説明があると
前のご夫婦が、自分達のカップ麺を

お子さん、お腹が空いてるんじゃない?
良かったら先に食べさせてあげて。


と、差し出してくださった。

車内では、お茶かジュースのサービスがあるが
1人1本と決まっていた。
事故後、追加で1本ずつ配布されたが
カップ麺を受け取るときに、ご夫婦のゴミ袋の
中には、4本の飲み物が空になって捨てられているのに
気がついた。

お礼に、持参していた小さなクーラーバックから
最後の1本の500mlのお茶を取り出し
(ちゃんと買ったやつね)
これまた持参していた紙コップと共に
(どんだけの大荷物じゃ...)

よろしかったら.....どうぞ....


と、差し出すと 遠慮しながらも
とても喜んで受け取ってくださった。
私達は、まだ 車内で配布された飲み物が
残っているし、残っていると荷物が重くて
大変なのです。
と伝えると

お二人は

ああ....冷たい~!美味しい~!


本当に喉が渇いていたらしく、一気に飲み干していた。


モモは、頂いたラーメンを頬張りながら
ご夫婦の方と私を交互に見てニコニコ笑っていた。




つづく









踏んではいけない!

奇跡の連載の途中ですが
こんなお馬鹿なエピソードを....


やっぱり、どういうわけか 

落ち着くことができない

注意力がない。


そして、変な部分に異常にこだわる。
自分なりのルールを作ってしまうが為に
自分で、自分の首を絞めてしまう結果となることも
また少なくなかった。


例えば、私の自宅へ帰るには 横断歩道のない国道を
横断しなければならなかったのだが

追い越し禁止の黄色い線を踏んではいけない!!という
ルールは、小学校1年から、高校3年までの12年間も
気にしていた。




しかし、ルールがもう一つ存在した。


工事などの跡で道路の一部が
濃い色になってることがある。


douro.gif


この跡は、包丁の形に似ていると
私は、常々思っていた。
昔話に出てくる鬼婆が持っていそうな包丁を連想してしまう。


ここだけは、絶対に踏んではならぬ 最重要ポイントだった。

家が近づくと、大概 トイレに行きたくなる。
家まであと一歩という国道の横断に手間取ると
漏れる可能性もある。

油断は禁物....

もう普通に歩けないくらい漏れそうな私は
意識がそっちに行っていた。

そして.....踏んでしまった。


禁断の鬼婆の包丁を!!


踏んでしまった自分に気がついたが
車がもう目前にやってきたので、仕方がなく家の方向へ渡った。

しかし、どうしても 人生やり直したかった。

私は、勇気を出して振り返った。
そして、腰をくねらせながら
そりゃもう、めちゃくちゃくねらせながら
また、家とは反対側へ横断した。

今度は、踏まないで横断できる。

自信はあった....。



でも、漏らさないという自信がなくなった。





おおおおおおおおお.....独り言をつぶやきながら
私は、車が途切れるのを待った。

もう 立っていることさえままならない。

すでに、足踏み状態の私は 車が途切れた瞬間飛び出した。



しかし、思い切り走ると 振動で漏れるので
競歩のような動きで、渡り切った。

そのままのスピードで、家に無事に着ける....


ホッとしかけた私に、隣に住むおばさんが


おかえり~~~!! と声を掛けた。


姿が家庭菜園の野菜で隠れていたために
私は、瞬間 ギョッとしてしまった。

と、同時に.....咄嗟に股を押さえてしまった。
もう、一度押さえてしまったら
手を離したら最後....漏れるのはわかっていた。

こ...こんにちは。
た、ただいま~~~~~。




私は、股を押さえながら家に入っていった。



すみれ、高校3年生の時の
苦い思い出であった。


今ここにいる奇跡 3

4年生の時の秋の遠足での出来事


何度か、記事にしているが 私は4年生の時から
身長と足のサイズが変わっていない。

大人になった今では
決して背が高い方ではないが
足はデカイか....

とにかく、現在4年生のマルとその同級生を見ると
いかに自分がデカかったか思い知るのである。


ほら...このシリーズの1でも言ったけど
骨格が男だからね(笑)、背中も広いし
超ガッチリしていたわけよ...
身長だけじゃなく、その体格は可愛げのかけらも
なかったわなぁ...
中学の時には、背中に抱きつかれて
お父さん!!ってふざけられてたぐらいだかんね~


そんな私も女の子.....
やっぱり、キャンディキャンディは好きだったのさ。
いい加減、そんだけデカかったら
リュックサックも、買い換えてくれてもいいもんだけど
小学1年生からずっと使ってた(もしかすると幼稚園の可能性も大だ...)
キャンディキャンディの赤い色が
オレンジ(いや、しゅう色だ)に変色したような
リュックを背負って 遠足に出かけた。

当日の朝になってから、母は慌てていた。



あらら.....リュックが小さすぎるわ!
買いに行く時間もないし、お母さんのナップザックを
背負っていきなさいよ~♪



絶対にいやだじょ~!!


何が悲しくて、遠足に母のナップザックを
背負っていかなければならないのだ?
名前からして嫌いだしっ!
しかも、上の方がすぼまってるあのヘンテコなフォルムが
当時は、とんでもなくダサく感じたものだ。
なんか...なんか...ナスみてえだ!と思った。

しかも、母のナップザック アズキ色。

何たって、私はキャンディが好きだった。
ポケットについた、ビニールで出来たキャンディの
イラストは、相当風化されていて
よくよく見つめないと、キャンディだと気がつかない
くらいの代物だったが、私はそれでも満足だったのだ。


体格も良かった私は、弁当も大きかった。
当時では、珍しかった 2段重ねのアルミ製か?
とにかくしっかりした素材の でかい弁当箱を
入れたら、お菓子の入る隙間は残っていなかった。
どんだけデカイねん!!
お菓子があまり好きではなかった私は
迷わずお菓子を留守番させた。
何たって、お弁当は大事だったのさ。


大きな背中に小さなポーチを貼り付けたような
いでたちの私
は、学校から1時間ほどかけて
たどり着いた大きな公園で 思う存分食べた。

重いお弁当が軽くなると、フットワークも軽い。


うんていの上で立ち上がったり、崖から飛び降りたり
熱い男に散々注意をされながらも
スリルある遊びに興じてしまっていた。

すでに、木登りで足を滑らせ、落ちて頭を少し
打っていたが 私はそんなことはおかまいなし。


キャーキャーと楽しそうな歓声が遠くから聞こえてくる。



気がつかなかったが、ここには
こんな楽しそうな遊具があるぞ!!!


それは、電柱に使われるような一本の大きな丸太で出来た
大人数で乗れるブランコだった。

恐らく、つかまることが出来る取っ手がついていたと思うが
後から参加した私は、一番前に座った為に
ブランコが動いてから、取っ手がないことに気がついた。


なんと馬鹿な.....



当然、私は不安定なまま そこでどうにも動けなくなってしまった。
降りるにしても、動き出したブランコから飛び降りる勇気はない。

後ろに座った子の取っ手を一緒につかませてもらえば
良かったのかもしれない...今となってはそう思う。
その時、私は どうしたんだろうか?
振り落とされないように、腹筋にでも力を入れていたかもしれない。

なんと馬鹿な.....




そして、当然 私は振り落とされる羽目になった。

しかし、ここは私である。


何故か、振り落とされた場所が丸太の通り道......
きゃん♪らっき~~~~っ!!って....


みんなが叫んだ!!



キャアアアああああ!!!!



一瞬振り返ると、丸太に乗ったみんなの顔が
恐怖に歪んでいる....

そのみんなの乗った丸太が、自分の位置にやってくるなど
思いもよらなかったのだろうか?
それとも、足がすくんで動けなかったのだろうか?
一瞬の出来事で、逃げることができなかったのか?

とにかく私の背中に、みんなを乗せた丸太が激突した。


当たったのではない。激突だった.....



私は、どれだけ飛んだのだろう.....
空を飛んでいたとお友達が言っていたし
丸太に乗ったみんなが、駆け寄る足音は
相当遠くからだったように思うから
結構な距離を飛行したのだと思う。


着地の痛さや、背中の痛みよりも


私は、息ができないことに気がついた。



そういえば、軍隊式小学校では
逆立ちを校庭で練習させられていたが
勢い余ってしまった時に、地面に背中を叩きつけると
こんな風に息が出来なくなったことがあったっけ?

でも、そんなレベルのものじゃねえ......

全く息が出来ない!どうしよう!苦しい!

喉が痛い!ぐえええええええ!!!




熱い男がやって来て、私を抱き起こし
何かをした。水を飲ませたか背中を摩ったか
何だかよく覚えていないのだ。


ヤツが何をしたのか、記憶にないが
熱い男がやってきて、息が出来るようになったのは
おぼえている。


とにかく、漫画でよく怪我をした人間の
頭の上を星が弧を描いている表現があるが
まさに、星がいっぱいだった。
チカチカチカチカしていて、目も開けていられなかったし
息が出来るようになったとはいえ
強烈な喉の痛みと、全身の痛みに耐えられず
叫びたいのだが、声も出なかったのだ。

みんなの頑張れ!大丈夫??
の声の中に


血が出てる~!!



などという言葉が混じっていた。



熱い男の手は、血だらけだった。



何で、先生の手....血だらけなんだろう?
私のこと助けるのに、怪我したのかなぁ....
なんて、思っていた。


熱い男や、他の先生方は
病院へ....と話していたが


私は、大の病院嫌いな上に、その日の遠足を楽しみにしていた。
そんなことで、遠足が台無しになるのは避けたかった。

そして、何より 病院などへ行ったら
母に連絡が行くではないか!!
母に連絡が行ったら最後.....今日一日の私の落ち着きの無い行動を
熱い男が逐一報告し、その結果...
私は、こっぴどいお仕置きを受けることになる。



いやだあああ!!病院はいやだああああ!!

大丈夫、もう痛くない!!治った 治った!!



と、私は騒ぎ立て 無理やり走ってみたり 自分はいかに元気か
アピールした。


1時間かけて歩いて帰ったが


リュックを下ろした瞬間.....私は青ざめた.....




キャンディが、真っ二つに裂け、血みどろになっていた





しかも、出血はまだ続いていたらしく
背中から足の方まで 血で汚れている......
靴を脱いだら、靴下が赤く染まっていた。


これは、言い逃れなど通用するレベルではない....



仕方が無いので、母に ちょっとした怪我をしたことを
おそるおそる お伝えしてみた....



驚いた母は、私の背中を調べ
すぐに病院へ行く羽目になってしまった。

再度、何故かリュックを背負って
車に乗り込んだが、そんなもの降ろしなさい!!

と、母に言われ リュックを膝に置いた。



その時、はじめて私は気がついた。



リュックの形が、明らかに違う.....



もう、すでに リュックはボロボロで
その点は、確かに 出発時と違うのだが
それとは、何かが違うのだ。


あれ...お弁当箱......!?



お弁当箱がない......



お菓子の入る隙間がないほどのデカさの
お弁当箱が、あるはずなのに
リュックは、ブカブカだったのだ。

母の目を盗んで、中を覗いて見ると



お弁当箱は、一部ぺっちゃんこに圧縮され
世にも恐ろしく変形しておった...



私は、見なかったことにしようと
リュックをかたく閉ざした。



医者は、よくこんなんで 歩いて帰ったな!とか

どこの学校だ!とか

ひたすら怒っていた。



母は、うちの子。。。本当に落ち着きがないもので。。。と、説明し 先生方には非が無いことを主張していた。



私の背中には、丸太の痕が
三日月のようにくっきりと残っており
その傷跡を何針か縫われた。

三日月の下のほうには、お弁当箱を
押し付けられた痕だろうか?
明らかに、丸太とは違う痕があった。

これ、普通はこんなもんじゃ済まないよ!
助かったとしても、背骨は使い物になんねえな!
背中に、リュック背負ってたのか?

私は、ビクビクもんで頷いた。

丸太は、リュックを貫通しておった。
中に、あの弁当箱がなかったら
私は、今ここにこうしていられたのかどうかわからない。


頑丈な身体で良かったな!


運がよくても、ヒビくらい入るわいっ!




医者は、そう言っていた。


↑そういや...最近こんな医者って見ないな...











今ここにいる奇跡 2

多動エピソードを書く記事じゃないので
それは、また機会を見て書くことにして
(あのね、怖がりなのに スリル大好き。
ドン臭いのに、動きが激しいからね...絶対失敗するのよ)


子供の頃私は、何度か危ない目にあっている。
溺れる、脳震盪、冷蔵庫に入って扉が開かなくなったとか...
山で、迷子になったこともあった。←それって、遭難じゃ...

中でも一番の大事故は 雪に生き埋めになってしまったことだ。


私は、雪国で生まれ育った。
雪国の子なら、誰もがこんなミニスキーで




遊んでいただろう。ジャンプ台作って、跳ぶんだよ。
でも、着地失敗したら、すぐに折れちゃう...

毎日こんな遊びをしているのだから、当然本物のスキーを
滑りに、スキー場にも行っていた。


私は、初めて挑戦したいつもと違うコースで
道に逸れた.......
そこからは、恐怖であまり記憶が無い。


林の方向へ逸れた私は木にぶつかり
木の上に積もった雪が、私の姿をすべて
隠してしまった。
気がついた時には、私は担架で運ばれていた。
頭を強く打っていたので、病院へ行ったが
全く異常はなく、晩御飯をモリモリ食べたのは
ハッキリと記憶している。

とにかく、目撃者がすぐに助けを呼んでくれて
命拾いしたのだが、場所的に
目撃者がいなければ、間違いなく私は
助からなかっただろうと聞かされている。


それからも、私は性懲りも無く
スキーやソリで遊ぶことを続けたのだが

高1の冬に突然......

意味のわからぬ恐怖心が私を支配した。



まず、リフトを降りる所からそれは始まっていた。
突然、今まで感じたことの無い恐怖心が
私の身体を貫いたのだ。

滑り降りている途中で 身体が急にガタガタ震えだし
脂汗が滲み出てきた。
その時には、その恐怖心を悟られないように

{思春期だからか...!?
変なプライドがあるからな。}

汗をかきながらも、ポーカーフェイスを装った。



それから、一度もスキーには行かなかった。


しかし、20代のころ...
結婚していた私は、珍しく冬に帰省した。
せっかくなので
妹達とスキーに出かけてみたのだが

やはり、結果は 恐怖に勝つことができなかった。


しかも、高1の時より 恐怖は増大し


どうにもこうにも、自分を保つことができないくらいの
パニック状態に陥ってしまった。
手足がガクガク震え、呼吸が出来ない。
それでも、ゆっくり降りてみようと
何度か試してみたが、足が固まってそこから
どうしても動かないのだ。


私は1人、スキーを担いで 徒歩で降りて行った。

それ以来、スキー場に近づくこともしない。
なんかね、信号待ちで前の車に スキー場のステッカーが
貼ってあるのを見ると、息苦しくなって
窓を開けてしまう。













私がここにいる奇跡 1

本日3本目


今日は、私の誕生日でもある。


前回の記事のような出来事があり
しかも嬉しい歳でもなくなってきたので
おめでたい日であるという喜びはないが
よい機会なので
私の授かった命について考えてみたいと思う。



私は、自分の生育暦にも書いたことがあるが
鉗子分娩→仮死状態にてこの世に誕生した。

そんな誕生で親を心配させた私は
すくすく育ち、3歳児健診では


この子は、本当に女の子なのか!?
これは、男の骨格であります!
なんという、骨太!なんという体格!と
お医者さんに賞賛されたという(爆)


あなたは、骨太なんだから....
あなたは、男の骨格なんだから...

と訳のわからない励ましを受けながら
育った私は、お人形遊びには一切関心がなかった。


特に、ヒーローものの番組が好きだった訳でもないが
ヒーローが、首に巻いているスカーフに異常に興味を示したのが
3~4歳頃だったという。


私は、母のスカーフや 父のネクタイ
手当たり次第に、何でも首に巻いたという。
その行動は、私も今でもはっきりと覚えている。

私が一番好きだった遊びは
何かを首に巻きつけて、縁側の方にある日当りの良い廊下の
節穴から、母の目を盗み
台所から持ってきたスパゲティを延々と落とすことだった。


ちょっと長めのやつをストンと落としても気持ちがいいし
ポキン、ポキンと短く折った時の、あの感触がまた気持ちがいい。


ある日、私は ケーキ用のリボンを首に巻いた。


昭和時代に主流だった 粗織のザラザラしたあのリボンである。


私は、一本一本リボンから糸を引っ張り出していた。


一本引っ張ると、リボンがクシャッと上に持ち上がるのが
なんとも楽しかったのだろう....

気がついた時には、息ができなくなっていた。



馬鹿なあたしは、パニックになり
首とリボンの間に手を入れて、隙間を作ろうとしたが
どういうわけか、ますます リボンはきつく首に吸い込まれてしまった。


あぐうううぐぐぐううううううう!!!


母が、駆け寄り私の首に鋏を入れようとしたが
もう鋏が入らないくらい、リボンがめり込んでいたのだろうか?

母は、糸きり鋏に切り替えて、少しづつ糸を切っていった。


あの時、母が入ってくるのが あと少し遅かったら......

私の命は、間違いなく消えていたに違いない。


それどころか、母にアリバイがなかったら
母は、子殺しの犯人に仕立て上げられていたかもしれない。


ケーキ用のリボンで、自分の首を絞める
そんな馬鹿な子は、そんなにいないと思うからね....

今の時代だったら、即刻販売停止かもしれない。
あのリボン....(笑)


さて、それからも私という奴は
半端じゃないくらいの危ない橋を渡ってきた。

その全てを母が知ったら
気絶してしまうかもしれない。


私は、半端ねえ多動っ子だった。


今の多動っ子は、生ぬるい!
あたしの子供の頃はなぁ.....!!などと、訳のわからぬ
説教をしてしまいそうな程の、多動ぶりだった。

しかも、昭和の親に育てられ
しかも、その頃は、多動が発達障害であるとか
そもそも多動なんて言葉はなかったために


落ち着きの無さ過ぎる子
おっちょこちょいにも程がある子
女の子なのに、もんのすごい乱暴な子



として、私は扱われていた。



記事は、次回に続く  と、確信を持って宣言はできないですが

恐らく、続くと思いますよ。










びっくりしないでね...と母が言う時 2


本日2本目です。


この話は、必ず1話(←こちら)からお読みくださいませ。




テツヤが亡くなった.....!?


テツヤが亡くなったって.....



今、私は、母のびっくりしないでね....という言葉を聞いて

23年前のあのクリスマスイブの出来事を思い出したのだ。


一瞬のうちに、あの日の出来事が頭を巡ったのだ。

ものすごい早さで、みんなで楽しんだクリスマス会から

祖母にすがりついて泣いていた、てっちゃんの姿

自分の未だに悔やんでいるあのやり取りまで.........






その中の登場人物だった てっちゃんが....?


本当に亡くなったのか?





朝、起きたら 亡くなっていたって......



見つけたのは、23年前のあの日
家でお留守番していた弟だったという。




てっちゃんには、子供もいたのだが
数年前に離婚し、実家に戻ってきていたらしい。



彼は、祖母の死後.....



別人になってしまったように見えた。





会う度に
服装や、髪型が とても派手になり
私達とは、全く言葉を交わさなくなっていた。
....というか、いつも留守にしていた。
会っても、会釈をする程度。

中学生だったので、単なる思春期に入っていたのだと
思ったのだが、それにしても 変わり方が極端で急激だったのだ。



相変わらず、頭が良かった彼は
国立の高校へ進学した。
はじめは、家から通っていたが
通学時間が長いので、寮に移ることになった。


いつしか、てっちゃんは 高校を辞め
何処かへ行ってしまい いつの間にか
結婚して、離婚して 亡くなってしまった。




私達は、親しく言葉を交わすどころか
23年前のあの日以来、顔を合わせるのも数回だった。

でも、一度だけ こんなことがあった。



私が動くと雪がふる。

という記事を以前書いたことがあるが

私が飛行機を予約すると、その飛行機は9割方飛ばない。


これは、国内線はおろか 国際線でも数回起きているので恐ろしい...
別に、私が 天気まで操れる力を持った人間だと言いたいのではなく
私の生まれ持った運が、乗り物と相性が悪いのだと思う。
それかお天気か...(笑)



私は、妹の結婚式に予約した飛行機に乗れなかった。
なぜなら、雪が降り、しかもすごい強風だったからだ。


すでに、夜だった。



しかし、伊丹空港から家に帰るより
東北にある家に行った方が良さそうだ。
明日は、何が起こるかわからない...

今から急げば、余裕で帰れる。


最終の新幹線の時刻を考えても、十分に間に合うはずだった。


しかし、強風のため 新幹線は 手漕ぎボートくらいのスピード
しか出さないのだっ!
(大袈裟だが、車内にいる私にはそれくらい遅かったのだ)


しかも、途中で止まってしまった.....




結局ね、東京に着いた時には
私の地元の駅に止まるはずの最終新幹線はなくなってた...





仕方が無い、東京で一泊しようと
母に電話をかけた。



父が私を迎えに出たと言う。

隣県に止まる新幹線なら、間に合うので
そちらに向かって欲しいとのことだった。


隣県にある指定の駅で降りると


革ジャンを来た 異常に足が細長い ちょっといい男がいた。


てっちゃんだった....




黒髪だったが、耳や首や、手首に 色んなアクセサリーが
所狭しと展示され、きらめいていた。


これで、金髪だったら あたしゃ
眩しくて目を開けてらんないよ! とちょっと噴出しそうになった。


てっちゃんは、私を父の車まで送ってくれた...


父は、あまりの渋滞で途中で断念。


てっちゃんに、私のことを迎えに行って欲しいと
頼んだのだ。



夜中のそんな親戚の厚かましい依頼に
快く応じてくれた てっちゃんは
相変わらず、鼻炎だったらしく
時折、鼻をピーピー鳴らしていたが

ちょっと袴田吉彦に似た男前だった。


車内では、私が1人で喋り続けていたのを
てっちゃんは無言で聞いていた。


うちの両親が、いつも言う話の真相を聞いてみた。

ねえ、てっちゃん!?
私が、てっちゃんの家に遊びに行く日は
怖がって、押入れに隠れてたって本当?



私が、門柱でウンコしてたの覚えてる?


タバコを吸いながら、ニヤケ気味の
てっちゃんは、ウンと声を出さずに頷いた。
そして、ずーーーーっと、笑っていた。

私が車を降りるまで、1時間以上 ずっと
楽しそうに笑ってた。



それなりに、楽しんでいたのだと
私は、今でも思っておる。



降りる時に、てっちゃんは



あ。。。すっちゃん!!(いとこ達に呼ばれている私の愛称) 

やあちゃんに(私の妹)、おめでとうって言っといて~!

じゃあね



それが、最後の会話となった。



ねぇ、てっちゃん   あの時はありがとう。


それからね....今、ふと思い出した3つの出来事。



たけしの挑戦状をやっていた時に、私が切れて
ファミコンのコントローラーを放り投げた。(←てっちゃんのやつ(笑))
すると、てっちゃんが 怒らずにこう言った。

すっちゃん、こうしたらできるよ~
やってみ?
(←やっぱり、訛っている)


ボットン便所で用を足せない私をなじる大人たちに向けて
こう言ってくれた。


だって、すっちゃん、怖いんだからしかたないでしょ?

(やっぱ、つぶやきシローに似てるよ。喋り方...)



私は、てっちゃんの家のご飯が大好きだった。
よその家のご飯は、生理的に食べられない私だったが
てっちゃんの家は、特別だったのだ。


そうけ?そうけ?

(この地方では、そう?に”け”が付く)

お母さ~~~ん!!すっちゃんが
てっちゃんちのご飯は美味しいね!って言ってるよ!!





そうだ、私は、茶碗を持って 誇らしげに
うちのご飯は美味しいって 言ってくれてる!!と

お母さんに報告していたあの 笑顔が一番好きだ。


そうけ?そうけ?


うん。美味しかったよ。



天国というものが、本当に存在するのなら

どうか、おばあちゃんに会ったら

こう伝えて欲しい。



背中を摩ってあげられなかったこと
たくさんの愛情を頂いたのに、何もお返しできなかったこと
ごめんなさい。

おばあちゃんの言葉を支えに生きていること。
私以外にも思い出してくれる人が、たくさんいること。
ありがとう。


と。



てっちゃんと、叔父のご冥福を祈っています。







びっくりしないでね....と母が言う時 1


母が、びっくりしないでね....

と、言う時は.....そうだ.....



必ず、誰かが亡くなった時だ。




一番最初は、祖母が亡くなった時だった。



祖母の家は、私の実家から車で40分ほどの県外にあった。

今から22年前のクリスマスイブに
私の家には、祖母の家にいる内孫2人が泊まりに来た。

中学2年生だった私、小学5年生だった妹と、小学3年生だった弟の
私達きょうだいと、中学1年生のてっちゃんと、小学5年生のゆうちゃん(女)
きょうだいのささやかなクリスマス会が行われた。

両親は、祖母の家に行ったきりだった。
うちの親も、2人のいとこの親も顔色を変えることなく
子供達だけでクリスマス会楽しんでね!なんて、言っていたものだから
私達は、誰1人として 何も疑うことなく
小さい頃によく行き来して、お泊りを楽しんでいたあの頃のように
歌をうたったり、ゲームをしたり
本当に本当に、楽しいクリスマスイブを過ごした。

祖母は、癌の闘病中ではあったが
私達には、祖母が癌であることを知らされてはいなかったし
その頃は、まだ誰も 自分の家族が”亡くなる”ことについて
リアルに感じることなどできなかった。


てっちゃんと、ゆうちゃんには 歳の離れた弟がいたが
まだ生まれたてのその子は、お留守番だった。


優しいてっちゃんは、クリスマス会のケーキの飾りや
お菓子のおまけのようなものを
自分の弟に持って帰ると、言っていた。
優しいだけじゃなく、ここのきょうだいは本当に頭脳も明晰で
私は、中学2年生の勉強を1年生のてっちゃんに
この日、いくつか教えてもらった(笑)


夜中、みんなで雑魚寝している和室の布団へ母が潜り込んできた。


私は、なぜ母が戻ってきたのか、さっぱりわからなかったが
子供達だけでの留守、しかも私が1番の年長者であるという
責任感と不安感から少し解放されたように感じ
その後は、目を覚まさずに朝までぐっすり眠ったような気がする。


普通に朝ごはんを食べて、普通に遊び
しばらくすると


母が

「てっちゃんと、ゆうちゃんを 送っていこうか....」

と言った。



もっともっと遊びたかった私達は、すぐに返事をしなかったが
てっちゃんだけは、荷物をまとめて
家の中を1人片付けはじめた。


テツヤは、本当にえらいねえ.....

母の言葉に、私達も無言で同意した。




てっちゃんは、本当にえらい子だった。
いつも優しくて、何でも知ってて、ちょっと泣き虫だけど
みんな、てっちゃんが大好きだった。

祖母の家に行く前に、ご飯を食べていったのだが
みんなが、ステーキやら、ハンバーグやら
ご馳走を食べている時に、母はニコニコして
私達を眺めていたが....

食事が進んでいないことに私は気がついた....


お母さん、食べないの?

うん。朝ごはん食べすぎちゃったわ.....



そうか....そんなもんか。


母が、食事を残すなんてことは
後にも先にも、その日だけだったことに
私は、気がつかなかった。



祖母の家が見える直線道路に入った瞬間.....


道路の両脇には、びっしりと葬式用の黒い花輪が並んでいた。



何百メートルも手前から始まったその花輪が、まさか
祖母の家のものであるなど、私達は予想だにしなかったので


えっ?誰かの家、お葬式??

それにしても、すごい花輪の数だね!!



なんて、言っていた。




しかし、車が進むにつれて

車内は、静まりかえり

みんなの息づかいが、どんどん大きくなっていった。

鼻炎のてっちゃんの鼻が、ピーピー鳴っていて

その鼻笛の音がどんどん、どんどん大きくなって


何でなの?え なんでなの?

と、喘ぎ喘ぎ、搾り出すように出していた訛りの強い
あの言葉を



私は、今でも忘れることができない。

(つぶやきシローっぽい訛り)


母が


びっくりしないでね....

おばあちゃん、昨夜亡くなったのよ.....




ええ??嘘だ??いやだああああ!!


ゆうちゃんが、泣き出した。
ゆうちゃんは、花輪が見えた時に不安が過っていたのだろう
頭のいい子だったから、すぐに気がついたのかもしれない。
顔を覆ったゆうちゃんの指には、爪の痕がくっきりと残っていた。

強く手を握っていたのかもしれない....




私達きょうだいも、かなりの衝撃だった。



しかし、中でも一番取り乱していたのは
やっぱり、てっちゃんだった。


中にいる祖母にいの一番に駆け寄り
すがりついて、泣き崩れた。

妹のゆうちゃんも、後に続き
2人は、涙が枯れるのではないかと思うくらい
泣き続けた。



私達きょうだいも、祖母を失った悲しみ
祖母の最期に、私達はクリスマス会などに興じていた
という事実に、打ちのめされていた。

何て言ったらいいかわからない
でも、そこにいた私達みんなが感じていた背徳感だった。



私は、祖母の傍らで腰を抜かしていた。


祖母が震える字で私に送ってくれた手紙(←みんなに贈りたい祖母の遺言の記事へ)
のことを思い出し
まさか、癌だったとは、祖母が死んでしまうとは......
祖母の冷たくなった手を見つめながら


辛そうだった祖母の様子を思い出していた。


母が、祖母の背中を摩っていた。




すみれ、摩ってあげてよ。



私は、その時 ええええ?今じゃなくちゃダメ?


と答えた。



母は、今じゃなくていいよ。



そう言った。


祖母も


いいよ。大丈夫、大丈夫.....

そう言っていた。





私は、その後で 祖母の背中を摩ってあげたのだろうか?

祖母の背中を摩ることをなぜ断ったのだろうか?



私は、もうあの背中を摩ることができない.....



おばあちゃん.....ごめん........

本当にごめんなさい。




私は、心の中で何度も祖母に謝罪した。

そして、あの手紙が祖母の遺言状だった
ことにも気がつき、胸がしめつけられた。

苦しくて切なくて
もう二度と会えないのに、謝ってももう
遅すぎるのに 何度も謝って

遅すぎることがわかっていたから

私は、あれから23年経った今でも
背中を摩らなかった自分を憎んでいる。

誰も私を責めなかったけれど
私は、一生あの時の自分の言葉を
忘れることはないだろう.....





あのね、アキおじさんが亡くなったのよ.....


電話の向こうの母が言った。



えっ????

あ.....そうなんだ.... 身体悪かったもんね.....


アキおじさんは、父のお兄さんであり
私の叔父である。



釣りの名人で、いつも大酒を飲んで 豪快な気性の持ち主だった。


私が、どじょうすくいに興味を持ったのも
このおじさんの影響が大きかったのだ。

一昨年の帰省の際も、すっかりどじょうが取れなくなった
用水路のことで、おじさんに愚痴をこぼしてきた私だった......


そうか.....おじちゃん.....



お母さん、そっちに帰った方がいいよね?



うん....それはね...いいのよ。

それより、もう一つ話があってね.....



びっくりしないでね......



びっくりしないでね.....?って.....



まさか、まだ  まだこれ以上の話があるのか!?

私は、構えた。





テツヤが、今朝亡くなったの。

























プルースト効果についてカンタン補足

昨日記事にしたプルースト効果について

プルーストの代表作
「失われた時を求めて」の中で

主人公がマドレーヌを紅茶に浸し

その香りをきっかけとして幼年時代を思い出す


という描写に因んでいるそうだ。



匂いをきっかけに、それにまつわる思い出が鮮明に蘇ること。


香りのフラッシュバックであるよ。





不思議と、この現象は 良い記憶が呼び覚まされるらしい。



金木犀やくちなしなんかの植物や

新聞や、雑誌のインクの匂い

人には、それぞれにまつわる思い出の香りが存在する。


ちなみに、あたしゃ......

レモン石鹸の香りを嗅ぐと、下痢をします(爆)

最近は、見当たらないから実験できないけどね。


同じような現象で、ある音楽を聴く あるものを食べると

懐かしいあの頃の記憶が蘇るってこともあるよね。



モノより思い出 ってCMのフレーズがあったけど

今は、確実に 未来に繋がってる。


そう 思う。














匂いと記憶 プチプルースト効果で急降下の巻

先日モモの受診の際に、受給者証を忘れたので
私は、用事のついでに近所の小児科へ立ち寄った。

開業して間もないこの小児科には、たくさんの患者さんが訪れ
すでに午後の診察が始まっている時間だというのに
受付の方の話では
本日は午前からずっと診察が続いている状態だという....
もちろん、スタッフみなさん昼食もとっていないそうである。
(ちなみに...午後4時頃であった)

しかし、本当にいい病院である。

どんなに混雑していても、1人として疲れた顔を見せない。
今日に限らず、いつ来ても、スタッフ全員が嫌な顔ひとつしない病院というのも
ありそうで、なかなかないものだ。

私は、受付の方が事務処理をしている間
椅子に腰掛け、これからすべきことを整理していた。
電話をする2件、メールをする2件.....洗濯と....

ふと 左耳に 小さな痰の絡まった咳のような音が飛び込んできた。

いつもは、そのまま聞き過ごすような、そんな何でもない
ありふれた赤ちゃんの咳だった。


赤ちゃんは、スーツを着た男性にとても大事そうに抱かれ
ジーンズを履いた若い母親らしき方が
とてもとても不慣れな手つきで赤ちゃんの熱を測っていた。

院内には、ジブリ映画のメロディがオルゴールで優しく流れており
いつの間にか、赤ちゃんの甘い匂いに包まれていた。



ああ...なんかいい匂い.....



辺りを見渡すと、もう1組の赤ちゃんを連れた親子がおり
やはり、とてもとても大事そうに抱え 何度も何度も顔を覗き込み
赤ちゃんを笑わせては、周囲の空気もほころばせていた。

つい、自分のすべき事も忘れ
私は、その2人の赤ちゃんの様子に目を奪われてしまっていた。

か......かわいい.......

そして.....いい匂い...... 匂いフェチか!



あの頃 あの頃私は

モモには無限の可能性があると信じていた。

モモが望めば、どんな未来でも叶うのだと。

ロマンティシズムとはほぼ無縁な私が、そんな淡い夢を膨らませていた。



弱冠5歳で、その夢は少し軌道修正された。


私も同じ障害なのだ。だったら大丈夫。
まだまだ、私は諦めなかった。

でも、私は心のどこかで不安で押しつぶされそうだった。

いつまで経っても、文字を理解しない。
数字はおろか、10まですら数えられない。


ねぇ.....お風呂で10まで数えるのって、いくつぐらいからだった?


旦那に言うと怒られるから、いつも自問自答していた。


5歳のモモに、赤ちゃん用の絵本を持たせては
必死に数を数えていた。 私の目は....きっと血走った鬼婆だったと思う。


ほどなくして、モモに知的障害があることがわかった。


私は、私と同じなんだから!と必死になっていた自分を恥じた。

その一方で、モモの未来は もう無限ではない。

弱冠5歳の子供に....諦めなければならないことが、どんなにたくさん
あるのだろうか その現実に 身が引き裂かれる思いだった。


この世には、もっと重い障害の子が.....

そんなことを言って親があきらめたら子供がかわいそう...

発達障害で知的障害があっても無限の可能性があるに決まってるじゃないか!


やかましいわ!と思った。

いや、それは、今でも思う。



その無限の可能性を
少しでも広げてあげたい.....その一身で
私も、モモも頑張っているんだ。




朝読んだ友人のメールを見直した。


トトロのオルゴールが、優しく身体に染み渡っていく。


何だかもう泣けてきて、トイレで声を出さずに少しだけ泣いた。


匂いは苦手だ......


所かまわず、感情が揺さぶられてしまう。




揺さぶられた挙句に、処方箋薬局にも
受給者証を持っていかなければならないことを
すっかり忘れてしまったのでありました。

たまには、こんな日もあるさ。
忘れたことじゃなくて、何だか泣ける日。

















馬鹿にしてんのか!!

先日、うちに 狸穴猫さんと奈良人さんが遊びに来た。


奈良人さんが、職場の方に

「馬鹿にしてんのか!!」


って言われたから


馬鹿にしていません!!


って言ったら、余計に怒られたわ....というエピソードを教えてくれた。




したらば、狸穴猫さんがね



そりゃそうだよ....と言った。



なんでだ!!!????



だって、馬鹿にしていないんだから
馬鹿にしていません って言うのは当然のことじゃ....


奈良人さんも、私と同じ考えだったらしい。
それ故に、その発言だったのだが

それが間違っていることに気がついたんだそうだ。


奈良人さんはこう言った。

馬鹿にしていません と言うと、余計に馬鹿にされているみたいに
聞こえるらしい。





どうしても、私にはそのメカニズムが理解できなかった。




なんでよ!だってさ......
馬鹿にしてないことをわかってほしいから
馬鹿にしていませんって言うんでしょう?

そこは、きちんと否定しておかないと。

じゃあ、正解は?



私は、2人に向かって言った。



狸穴猫さんが

申し訳ありません でいいんだよ。 と。





えええ??なんで??

どうやら何で?は私の口癖らしいことも
その日に初めて知った(爆)


それだったら、馬鹿にしてるのか?を
認めることになっちゃうんじゃないの!!?



馬鹿にしてるのか?

申し訳ありません


ほら....やっぱり、馬鹿にしていますって認めてるみたいだよ。うん...



どうしてもそこが引っかかる私は

じゃあ、私は 馬鹿にしていないことはどうしても伝えたいから


馬鹿にはしておりませんが

そのように受け取られたのでしたら

それは、申し訳ありませんでした。





じゃ、ダメなのかな?



と、新たな提案をしてみた。(どうしても付け足したい...)


本当に馬鹿にしていないことを相手にも
どうしてもわかって欲しいから
そこんとこは、絶対に譲れない!!
付けさせてくれ~~~~っ




したらば.....



それ....余計に怒らせるよね....
2人に言われてしまっただよ。


まず、何を置いても先に謝罪をするべし!

あ...そうか!それはそうだ。


そしてもうひとつ...これは とてもとても驚いた!!



馬鹿にしてんのか?

ではなく

馬鹿にしてんのか!!


なのである。



お気づきだろうか?

クエスチョンマークがあるかないかで ニュアンスは変わってくる。


こうして記事にしていて気がついたのだが
やはり、文にしてみるとわかりやすい。


馬鹿にしてんのか?は質問じゃなく

意思表明であるのだそうだ。



どれだけ自分が怒ってるか、こんな方法で
相手に教えてるんかな...?
いずれにしても、私には全くわからなかったよ。

この日に、3人で こんな話をしながら
いかに私に社会性がないか、思い知った。

私は、正直 自分は今のところ発達障害で困っていることはないし
社会生活も、かなり上手く出来る。
やろうと思えば、上手く立ち回ることもできるさ。
と、根拠のない自信さえ持っていた。

でもね、その自分の困り感や、自分の発言が周囲に与えてしまう影響や
その他、色々なことに 気がつかな過ぎだということも知った。
気がつくことさえ出来ないから、困っていないと思うわけよね。

でも、そんな ややこしい意思表明しなくってもさ

私は怒っています~~~~ふがああああ!!

って言ってくれた方がよっぽどわかりやすいのになぁ。


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