スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

漢字をおもいだしてみる

ある日の宿題をするモモ。


と、早いって似てるなぁ。
などと言いながら漢字を書いている。

どうやら、モモの中ではこれらは「日」の仲間なのだ。
他には名や石などの「口」の仲間。

面白い覚え方してるなあ...と思った。


そこで、ふと気になったのが
漢字を思い出すときに、どんな風に頭の中に浮かんでくるのだろう
ってこと。


友人のなっちゃんに会ったときに、疑問を投げかけてみた。

漢字を書くときに、どうやって思い出してる?
字はどうやって、頭に浮かんでくる?


そうそう、何色?なんてことも訊いてみた。


すると、なっちゃん...もちろん色は黒だそうで
そんな事考えたこと無いし、無意識で書いているからわからないとのこと。


でも、よくよく考えてみると、その対象の漢字だけが
パッと頭に浮かぶかもしれんとのことだった。



それは、どんな時にでもなのだろうか...
どんな時も、答えだけが頭にパッと浮かぶのだろうか...

例えば、「河嶋すみれ」の嶋の字が


島だったか嶋だったか、と考えてしまう時でも
どちらも浮かぶのは、1文字づつなのだろうか?と
考えた。


私は、1文字で浮かぶこともあるが
たいてい、余計なものがついている。
どうやら、その漢字を初めて見た本のページや
教科書のページ、中には電話帳、そして辞書など様々なページが
浮かんでくるのだ。

例えば...[縫う]という漢字を思い出すときに



kanjiwoomoidasu2.gif



私の頭には、このような絵が浮かぶ。

白い部分は、曖昧なボヤけた感じで緑の部分はハッキリと見える。



でも...大体お目当ての感じの前後左右の文章が
一緒にくっついてくるという印象である。



電話帳



モモが、言っていた「早」という字を例に挙げると
こんな風に電話帳で、浮かんでくることも多々ある。


私も、いちいち思い出して書いてはいないと思うのだけど
どんな時にこういった画像が浮かんでくるのかなど
説明など出来ないのだが
明らかに、モモとは違う覚え方だったに違いない。

結構、聞いてみるとみんな面白い覚え方をしているのかもしれないなぁ。




スポンサーサイト

さいしょの記憶 

私はね、寒がりなくせに雪を見るとテンションが上がる!
上がっちまうっ!

残念ながら、我が家の娘たち
(正確に言うとモモは。マルは一度だけアリ)
はまとまった積雪を見た事がない。

現在の私のテンションは 明らかに子供の時以上である。

それは久々に見る雪を懐かしく思う感情なのか
それとも、雪国にいたころは、雪が珍しくなかったからなのか
それとも、まだ雪の楽しさを知らない娘達に
それを教えてあげたいからなのかは定かではない。

私は岩手県○岡の出身。
3歳までの3年間しかそこで過ごしていないのだが
この時期になると○岡時代をパッと思い出す瞬間が増える。

大事な記憶をいつか忘れてしまわないうちに
書き留めておかなければならない。
実際、浮かんでは消えていくものが多く、一瞬浮かんだ鮮明な記憶が
もう二度と浮かんで来ない事も多々あるのだ。


当時の私の家は、交差点の傍にあった。家の中から信号が見えた。
隣には、菓子屋さんがあった。

その菓子屋さんはうちの左隣にありそこが角地であった。
作りたての並んだ団子を母の背中におんぶされた私が必死に手を伸ばして
取ろうとしている。
粉(何だろう?白玉粉?)の中に手を入れた時のなんともいえない感触。
その手をどうしたのかはわからないが 母の頭に白い粉がいっぱいついていて
白い三角巾をした金歯のおばさんが掃い落としていた。
(母の髪を掴んだのか!?)

その頃の人の口の動きや 声の記憶はあるが
言葉は出てこない。

歩き始めてからも
私の記憶は団子をつまみ食いしている類のものが多い。

私はいつも家の裏のドアから
菓子屋さんの裏口に回り勝手に調理場?に侵入していたのだろう
その裏口から入る瞬間の記憶はバリエーション豊富だ。

ハイハイして入って行く感覚もあるし
なんと三輪車で入った事もあった

馬鹿である………

私の悪戯はひどかったのだと思う。
(都合の悪いことは覚えていない)

おじさんはいつも怒っていて、おばさんはたいてい笑っていた。

そして私はいつも粉まみれだった。

菓子屋の受けた損害のことは、さておき....

(いいのかっ!?)



私の家の付近にはパチンコ屋さんがあり、その前で
チンドン屋さんと言われるものすごい人々を見た記憶があるのだが
これは盛岡の繁華街に買物に行った時の記憶とごっちゃになっている
可能性がある。
とにかく、衝撃を受けたのだ。


化粧や衣装がどうのこうの...ではない。
いや、それもあるのかもしれないが
あの音量がとんでもなく怖かったのだ。

それから、物乞いの人々のこともよく覚えている。

母は、何か言いながら、よくわからない何かを渡していたが
それは、3歳で引越しした福島でも同じ光景を見たので
母が何と言っていたかわかる。

ちゃんと働きなさいよ~!!

と言っていた。

そうそう、窓を開けたら猫が寝ていた。
私は、窓の下のトタン製か何かの外壁をバンバン叩き
起きなさい~~~!と何度も繰り返した。
しかし、猫は起きなかった。
しばらくしてから、母に猫が寝ていることを教えると
母は、その猫を土に埋めていた。

猫は、死んでいたのだ。

その時は、死の意味も理解できず
ただ、土に埋められていく猫を見ていた。


それから、今思い出すととても奇妙な記憶がある。

私は、母と一緒にバスに乗っていた。
ボロボロの帽子と、下駄を履いた学生さんが笑ってた。
私のホッペを突いたり、手を握ったりしていたので
私はまだ乳児で母に背負われていたのだと思う。
(多分...)

とにかく、ボロボロの帽子と下駄のその軍団は
何度かバスに乗ったときに見ている記憶があるのだが
あまりにも時代錯誤である。でも、確かに見ている。

この記憶は、割と繰り返しているので鮮明である。
何故、下駄なのか...ということに気がついたのは
20歳過ぎてからだったと思う。
当時は流行っていたのかもしれん。

そして、私は以前「すみれの怪しい感覚」という
記事を書いたことがあるが
この雪の匂いや音の感覚は、もしかしたら
自分が産まれたときの匂いと音だったのではないかと思うようになった。

私が生まれた時、外では雨が雪に変わっていたという。

自分がこの世に仮死状態で生まれ、我慢して我慢して
最初に吸い込んだ空気に雪の匂いが含まれていたのかもしれない。
それとも、病院を出た瞬間の匂いが雪の匂いだったのかもしれない。

スヤスヤと眠っていたときに
外では雪が降り積もり、その音と匂いを
母のぬくもりと共に感じていたから、忘れられないのかもしれない。


だから私は、雪が降るととてつもなく
懐かしい気持ちになるのかもしれない。





テーマ : 発達障害
ジャンル : 福祉・ボランティア

リンク
検索フォーム
月別アーカイブ
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。