200608
- みんなに贈りたい祖母の遺言(08/31)
- いつものコスプレ(08/29)
- 忘れ過ぎ!!(08/28)
- 私の両親(08/27)
- サンタクロースの正体(08/26)
- サンダルでの登校(08/24)
- 恐怖のボットン(08/23)
- 笑いすぎ!(08/21)
- 思い出すと笑ってしまう話(08/20)
- 奈良の鹿(08/09)
- ビバ!ココセコム!(08/05)
- あだ名の話(08/03)
- 私が苦手なもの(08/01)
みんなに贈りたい祖母の遺言
2006.08.31
私の祖母は、小学校の教師だった。女手一つで私の母きょうだいを育てた。
そして、彼女は私や、私の母と同じくアスペルガーだった。
私は、彼女の事を心から尊敬しているので1つとして悪くは言いたく
ない。だから、彼女のアスペ症状は省かせていただきたい。
もちろん、彼女は診断されたわけではない。
しかし
私達3人とそして私の娘のモモは、紛れも無く同じ世界の住人である。
祖母が亡くなったのは、私が中学2年のクリスマスイブだった。
癌に侵されながら最後まで、病院に入院するのを拒み続けた祖母は
手術が終わるたび、すぐに退院して家で療養していた。
11月に、私達きょうだいに祖母から手紙が届いた。
祖母は、隣県に住んでいたのだが私の家から40分で行けるので
当時私の母は、看病に足繁く通っていた。
祖母の手紙には、そのことで私達が留守番になり淋しい思いを
させている事を詫びる言葉と、
これから、私達がしっかりと自分の足で人生を歩んでいくよう
激励の言葉が並んでいた。
祖母は、達筆な人だと記憶しているが
その手紙の文字は、震え、判読するのにとても時間がかかった。
祖母が、ペンを握る力さえ失っていたにもかかわらず
最後の力を振り絞って書いた魂の手紙だった。
最後に、私だけに宛てた文面があった。
私は、彼女に叱られてばかりだった(門柱でウンチしたりね)
でも、私の天真爛漫な性格と優しさは、私の武器であり一番の宝物。
あなたは、私の孫の中で一番素敵な大人に成長するでしょう。
と記してあった。
人生でつまづく事
たくさんあるでしょう。
色んな選択肢に悩むこともあるでしょう
自分が選んだ道を後悔することもあるでしょう
でも、人生に「もしも」は、ありません。
それは、私達人間はたいていの場合
最善の選択を知らず知らずのうちにしてきている
からです。
自分の歩む人生は間違っていません。
すみれの選択は間違っていません
どうか、自分を信じて生きていって下さい
最後にそう記し、字が震えてしまいごめんなさい...とあった。
祖母はこの手紙をどうしても自分の手で投函したかったようで
同居しているお嫁さん(私の伯母)の目を盗んで
健康な人でも、片道10分はかかるポストまで
歩いて行き、帰り道にとうとう倒れてしまったという。
それから数週間後に祖母は他界した。
彼女は定年まで教職を続けてはいなかった。
教職を離れて30年近くは経っていたと思うのだが
信じられないほどのたくさんの教え子達
どこまでもどこまでも続く花輪...
彼女がどれだけ人に慕われ、尊敬されていたか
私はそこで初めて知った。
彼女の遺言は、8人の孫のうち私だけに宛てられていたそうだ。
アスペルガーとは知らずに、ただただ生きにくい世の中と闘い
八方ふさがりだった当時の私の心を見透かしていたのだろうか。
それとも、自分に重ねて私を見ていたのだろうか。
ともかく、私は今まで何度この言葉に励まされ
自分を取り戻したかわからない。
この手紙は、一度読んだきりで目を通していない。
大切に保管してあるが、もう一度読み直すのは無理だ...
だから、祖母の言葉そのままではなかったかもしれない。
多分もっと、素敵な表現で書かれていたはずだ。
私のブログに来てくださった、私の大切な人たちに
私のことばで、この言葉を贈ります。
私からのささやかなお礼です。
いつものコスプレ
2006.08.29
私は22歳で結婚した。初めに伝えておくが、ヤンキーではない
マルが授かるまで4年。
(私は子宮内膜症で、不妊治療してました)
その4年間は、友達も出来ず職場と家の往復だったのですが
旦那の妹が、私の2つ歳下でよき私の遊び相手となってくれました。
近くに住んでいたので、旦那の留守の時に泊まりにきてくれたり
しょっちゅう遊びに来てくれていた。
彼女はお笑い好きで、話も上手。
妄想好きで、二人で妄想しては機関銃のように話していた。
いつの頃からか
遊びに来た彼女を私が面白おかしくお迎えするのが定番になっていた。
凝り性で、暇だった私は一日中
「今度のネタは何にしよう...」と考えていた。
ある日、そのような事を考えながら駅に着き
踏み切りの前に立つと
踏み切りの向こう側の岩に
山伏がいた
岩のうえに腰掛けて、汗を拭く山伏。
まっ..まぶしいっ!
山伏は輝いていた。
次は、山伏で行こう!
私に迷いはなかった。
岩に座り汗を拭く山伏...これは、よい作品ができそうだ。
妹が来る週末までに
私は紙で岩を作り、小さな椅子に貼り付け
山伏の頭に載っている小さな帽子もフェルトで作り
肩からぶら下がっている
ポンポンのようなものもビニール紐で作った。
衣装は、上は着物の肌着。下は白い生地を簡単に縫い合わせて
モンペのようなモノを作った。
そして、白い足袋を履き、足首には包帯をグルグルと巻いた。
準備は万端。
私は恐ろしいほど、山伏だった
「もうすぐ行くね!」
電話があった。実は電話が来る前には着替えていたので
あとは、玄関で岩の椅子に座り汗を拭けばいいだけだった。
私の心は躍っていた。
どんな顔するだろう...
絶対に外すとは思えなかった。
私にとって、最高のコスプレネタだった。
階段を上る音が近づいてくる。
私の鼓動は高まった。
ちょっと震えた。
そして、馬鹿みたいな自分に吹き出しそうになるのを必死に抑えていた。
「ピンポ〜ン」
幕は上がった。
この一週間の私の全てを出し切らなければ!
開いてますぞ!どうぞ...
男の声色を使い、できるだけ厳かに言った。
私の声は低い。かなりの出来栄えだったに違いない。
こんにちは〜
ドアが開き、声が聞こえた瞬間...私は急いで逃げようとした。
新聞の勧誘だったのだ
遅かった...。
もう、どうしようもなかった。
新聞屋は
明らかに目を見開いたが
何事もなかったように
「来年からの契約、お願いしますよ〜」
と、山伏に言ってきた。
私は動揺を隠せなかったが
妹と鉢合わせになると一週間の努力が無駄になるので
主人に相談してみないとわからないし
もう、お客さんがくるので時間がないことを伝えた。
(そのふざけた格好で、主人もお客もないもんだ)
新聞屋は、引かなかった。
他に、どこか考えてる
新聞あるんですか?
山伏にしつこく契約を迫る。
とにかく、今日は...
本当に忙しいんです
この辺だっただろうか...上に住むおばちゃんが、階段を降りて来た。
うちの玄関が全開だったので、新聞屋のおやじと話す山伏の姿が
視野に入り、不思議に思ったのだろう...
そのまま少しバックして、また確認の為にこっちを
覗き込んでいる。
私は急いで玄関の脇のトイレ側に隠れて、おばちゃんが
通りすぎるのを待った。
再び玄関に
もう!今日は無理ですから!
と...強めの口調で戻って来たとき、
新聞屋の後ろに妹が立っていた
妹は山伏を見るや否や、その場に崩れ落ちて笑い転げた。
その笑い声はマンション中に響き渡り、隣の棟の人が
何件も、笑い声の犯人をみつけようとベランダに飛び出してきたり、
窓を開け身を乗り出し、キョロキョロ見渡した程すごいものだった。
笑っている妹を見て、私までどうしようもなく可笑しくなってきた。
すみれさん、その格好で
なに普通に話してんの〜??
ますます笑い転げる妹。
私もうずくまり、泣きながら
もう話すことが出来ないくらい笑っていた。
新聞屋は、しばらく様子を見ていたがいつの間にか消えていた。
そして、そのおっちゃんは二度と勧誘に来ることはなかった。
忘れ過ぎ!!
2006.08.28
私は、忘れっぽい。忘れっぽいどころか何もかも忘れてる。ほら...よく、鍵がない!とか、お財布忘れた〜!
とか、そんな可愛いレベルのモノではない。
っていうか、それは毎日。
私は、マルが幼稚園の時、参観に行って
幼いモモを園に忘れたことがある!
それも、2度。
忘れられた事に気がついていないモモもかなりすごいが....。
よく
2階に上がったら
何したいのか忘れちゃった〜♪
って可愛い忘れんぼさんがいるが
私の場合...
2階に上がる前に、すでに忘れている。
うちには2階がないが。
それに、トイレも忘れる。
めちゃくちゃ、トイレに行きたかったはずなのに
違うことに気をとられているうちに...忘れる。
ちょっと前に、ひどい忘れぶりを発揮した。
なんと...
Tシャツを着ている途中で
着替えることを忘れたのだ!!
これは、あんまりだった。
Tシャツに首を入れ、左手を通したまではいいが
右手を通すのを忘れていた
それは、お風呂上り。
私は夜、ブラジャーはしませんの♪おほほ〜
って...
右乳丸出しかいっっ!!
(下品な表現、失礼致しました)
私は、その日内職に追われていた。
子供を寝かせた後、仕事中に汗だくになったので
簡単にシャワーを浴びた。
そして、残りの仕事をいそいで片付けようと必死だったのだ。
びっくりしたのは旦那!
ただいま〜
おかえり〜
こっちを見て固まっている。
お前?わざとやってるんか?
なにが??
私が、わざとやっている訳でもなさそうだと思ったのだろう。
お前、なんかスースーするとか
ないんか?
な〜に〜が〜!!
はっきりしない人が一番嫌いや!遠まわしに言うな〜!
心の中で悪態をつきながら、ご飯の用意をしようと立ち上がった。
その時すでに旦那は、しゃがみ込んで肩を震わせ笑っていた。
「ヒヒーン!ヒヒーン!」
(悔しいので笑い声を馬にしてやる!!)
わからない人は、この記事を参照してね
お前、前からおかしいと思って
いたけど、やっぱおかしいって!
なんでそうなるのか(ヒヒーン)
凡人にわかるように説明してくれ!(ヒヒーン)
お前はもしかして、ズボンずり下げ男みたいに
それがトレンディやと思ってんの??
(ヒヒヒーン)
旦那はそう言うのがやっとだった。
何がトレンディよ!ばっかじゃない?
今時そんな恥ずかしい言葉
誰も使わんって。
...使わんって..
その辺で私は気づいてしまった。
...笑いたかった。
自分の馬鹿さ加減に呆れて思いっきり笑い飛ばしたかった。
だが、次に出た私の言葉。
そうや!わざとやってんねん。
暑かったから!
忘れてたなんて、死んでも言うもんか!
あまりの剣幕に、笑うのをやめた旦那は
ごはんを食べながらも、笑いがとまらんらしく
ヒヒン、ゴクッ..ヒヒヒーンゴクッ..
を繰り返し、とうとうシャックリしてた。
私の両親
2006.08.27
子供の頃から、私の実家は様々なお客さんがいた。父の会社関係の人や友人、母の友人、近所のおばちゃん...
ここまでは、普通の家でもあることだろう。
ここに、宅配便のおっちゃんやお兄ちゃん、行商のおばちゃんや
新聞の集金のおっちゃんが加わる。
段々、雲行きが怪しくなってきた。
更に、ネパール人が1ヶ月同居、韓国人やベトナム人...
うちでは国際交流も忘れない。
そして、更に...巨人軍のピッチャー(超有名人)や、某プロレスラー
4人(こちらも、誰もが知る人)をもてなしたこともある。
とにかく、人がよく出入りする家だった。
母のお得意のセリフは
「上がっていって〜」
「ご飯でも食べていって〜」
父も同じだった。
父の会社の、単身赴任の人や、独身者は毎日のように
うちでご飯を食べていたし、父は12年程前に病気になり
会社を辞めたのだが、それは未だに続いているのだ。
そして、私の通っていた軍隊小学校の私達きょうだいの担任は
みんな新任で若かった。
弟が卒業するまで、熱い男を含め、色んな先生が登場した。
熱い男以降の先生に関しては、母は行事ごとにお弁当まで作っていた。
弟や私の友達が10人泊まろうが、母は喜んでもてなしてくれた。
それが当たり前の家で育ってきた私には、不思議に思うことも
なかったし、うちの両親が人がいいなんて思ったこともなかった。
旦那と結婚して、帰省した際に
ベトナム人のお客さんが10人ほどいらしてた時に
うちには色んな人が来るのだと今までの経緯を話すと
旦那が腰を抜かすほど驚いていた。
そんな家ありえへん
確かに、ありえないのかも知れない。
私もそう思うようになってきた。
自分のことより、他人のことを一番に考える人達だった。
先日も電話の途中
「今からご飯だから、食べていったら〜」と母の声。
相手は、毎日仕事で来る宅配便のお兄さんだった。
忙しいって断わられてたけど(笑)
この両親と私は、数え切れないほどぶつかって来た。
少しでも遠くに行きたい一心で、東京へ出た。
そこで旦那に会い、関西へ嫁いだのだが私は、内心有頂天だった。
両親のことが嫌いだったわけではない。
むしろ大好きだったし、会話や笑いの絶えない家族だった。
なんて説明したらいいのか...適当な言葉が見付からないが
若かった私は、何も考えていなかったのでしょう。
帰省の度に、一回り小さくなり、まるで玉手箱を開けたかのように
変わっていく両親。
私は、この人達に何をしてあげられたのだろう。
気苦労や、迷惑ばかりかけて来たことを悔やむばかり。
世間を知る度に、子供が成長する度に
どんどん尊敬の念が深まって行く。
いつか、言いたい。
私を産んでくれて、人一倍苦労して育ててくれてありがとう。
サンタクロースの正体
2006.08.26
サンタクロースを何歳まで信じていましたか?私は、小学校5年生まで信じていました。
毎年枕元にある、お菓子入りのブーツが
イトーヨーカドーの袋に入って、戸棚にあるのを見つけても
別に不思議と思ったことがなかった。
ブーツに、イトーヨーカドーの値札やシールがついていたら
サンタさん、ヨーカドーで買物してきて
くれたんだ
なんとも間抜けな話であるが、もっと間抜けだったのが
私が事実を知った出来事である。
小5のクリスマス。
私は確かに寝ていた。
子供の頃の私は夢遊病、夜驚症など睡眠障害があり
眠りは浅かった。
暗闇の中で両親の囁くような話し声が聞こえる...
おい!駄目だ〜!すみれが起きてると..父の声。
いや〜私は寝てますよ。
でも、あなたの声はなんとなく聞こえています..私の心の声。
そこで、母が信じられないことを言った。
ああ...大丈夫、大丈夫!この子
いつもこうだから。どれどれ...あ!ちゃんと眠ってるわ
お前..!よく見てみろ〜
父が私のベッドに近づいてきた。
絶対に起きてる。なあ、すみれ。
返事していいぞ!
なんて答えればいいんだろう...
私は寝ているのだが、声は聞こえている。
目はつぶっているのだが、なぜ父は私が起きていると思うのだろう。
次の瞬間その疑問は解決。
父がいきなり笑い出した。
初めは声を押し殺すように笑っていたのだが
笑い声はだんだん大きくなっていき、しまいに母まで笑い出した。
ちょっとだけ、目を開けて寝る人が
いるのは知っているが、これは開けすぎだろう!!
普通に...ウプッ..グハッ(笑)起きてる時と変わらない。
そうなのよ。
あたしも、いつもこの子起きてるんじゃないか
って思うんだけど(笑)
母が笑いながら近づいてきて、プレゼントを枕元に置いた。
そして二人の話し声は遠ざかっていき
最後に母が、
でも、眠っているかどうかの見分け方がある...とか言っているところで会話は完全に聞こえなくなった。
その頃には私は完全に起きていた。
二人が出て行って、最初にしたことは
自分の目がどれだけ開いてるか確認
することだった
そっと自分の手を当ててみた。
よくわからなかった(笑)
そして、枕もとのプレゼントを確認し、
頭の中を整理した。
サンタクロースの正体よりも
自分がものすごく目を開けて寝ている事実に
唖然としていた私であった。
サンダルでの登校
2006.08.24
ここ数日、ずっと記事にしようと思っていた事がある。でも、書き始めると別の事を書きたくなってきて
なかなかアップ出来ずにいた。
すると...マルが
おかーさん、聞いて〜聞いて〜!
マルな、実はな〜間違ってサンダルで
学校行ったことあんねん!ぐふふっ
わたしゃ〜びっくりしました。
だって、私もちょうどその失敗を
記事にしようとしていたんですから。
「ありゃ〜やっちゃた?(笑)体育はなかったの?
みんなに笑われなかった?(笑)」
そんな事を聞きながら、やっぱり親子だわ...と実感した。
でもね..マルちゃん。
お母さんは
あなたより、更にレベル高いよ!
私は、武勇伝を語った。
あれは、お母さんが小学校1年生の時でした。
お母さんはなんと...
右足にお父さんのサンダル
左足にお母さんのサンダルを履いて
学校に行ったことがあんねんで!
しかも、お母さんはそのままバス停に歩いて行って
バスを降りて学校へ歩いて行く途中に上級生に
うわ〜!こいつ!変なもんはいてる
って笑われるまで気がつかなかってん。
おじいちゃんのサンダル、マルも見たことあるやろ?
あんなに大きいサンダルはいて、しかもおばあちゃんの方は
ちょっとだけヒールがついててん。
普通は立っただけで気がつくのになあ...
左右の高さが違うんやから、すぐに気がつくよなぁ?
でも、お母さんは全然気がつかなかったんだわ。
学校についたらな、皆が先生に
すみれちゃんが変な靴はいてきた〜!
って言いつけたから、先生がお母さんの靴箱見に来てな
お前、よくこのまま
バスに乗ったな〜
しかも、両方右足用のサンダルじゃないか!
よく歩けたな。
って、すごく笑われてん。
そして、このままじゃ帰れないからってサンダルを
袋に入れてくれて
「帰りは上履きで帰りなさい」
って言われてんで〜。
お母さんってマルよりすごいと思わん?
マルはゲラゲラ笑っていた。
追記:私は、聴覚や嗅覚が普通以上に敏感な分、触覚が鈍感なのかな...
と感じることがある。
例えば、車の座席に誰かの鞄や、荷物があったとする。
私はその上に座っても、全く荷物に気がつかない事が多い。
画鋲の上に間違って座った事があったがその時も気がつかなかった。
しかし、このサンダル事件の後は、よくいじめられた。
変なヤツ〜!って、乱暴な男子たちに体操着袋でバンバン殴られた。
昔って、ちょっとした失敗がすぐにイジメにつながったような気がする
今ほど陰険じゃなかったし、ターゲットはコロコロ代わっていたように
思うが、今ほどお笑いが浸透していなかったし、自虐で笑うとか
ご法度みたいな風潮があったような気がする。
うんちを学校でしてただけでからかわれたり(笑)
アイドル全盛の時代...私のような変なヤツはなかなか受け入れて
もらえなかったな。
でも、私ってほんまに面白いヤツだったな〜
今の私から、7歳の私に
あんたって、最高に
面白いわよ!いいキャラしてるわよ!
がんばれ!がんばれ!
って、エールを送ってあげたい。
恐怖のボットン
2006.08.23
私が、軍隊式の小学校に転校したのは3年生の時でそれまでは街の(この言い方田舎っぽい)
小学校にバスで通っていた。
なぜ、遠くの学校にわざわざ通っていたのかと言うと
軍隊小学校が木造校舎でトイレがボットンだったのである。
私は、ボットンが怖くて怖くて仕方がなかった。
母の実家がボットンで
私はよく泊まりに行ったがそのトイレを使うことができなかった。
では、どこで用を足していたかというと...
もちろん外だった。
庭のちょっとした家庭菜園の隅が
雨が降ろうが雪が降ろうが私のトイレだった。
ある日の事...
外から帰ってきた叔父が、私の母に血相を変えて何か訴えている。
母は見る見るうちに怒り出し
こら〜!すみれ!ちょっと来なさい!
恐る恐る近づくと、いきなり母のげんこつが飛んできた。
あんた!ここの家の門柱にウンチしたでしょう!!
門柱が何かはわからなかったが、確かに覚えがある。
門の両脇にある、石でできた柱に登って用を足した...
あんたって子は!
もうやっていい事と悪いことの区別がついてもいい歳なのに...!
母は怒り心頭だった。
私は、何故怒られているかは理解できたと思う。
やっていいことと、悪いことの区別もできているつもりだったのだが
こういう突飛な行動をしてしまうことがあった。
私は、なぜそこで用を足したかというと、私なりの理由があった。
いつもの畑が肥やしの臭いでとても臭かったことと
家の裏手に行ってしゃがんだら
ヘビの穴みたいなものを見つけたのだ。
私が用を足している時にヘビが出てきたらどうしよう!!
と思ったら、家の敷地内の地面ですることは出来なかったのだ。
でも、それを子供の私はうまく説明できなかった。
説明した所で、大人たちが納得するわけないって
今の私ならわかるけどその時の私は
説明すればわかってもらえるのに何て言ったらいいか
わからないもどかしさで、パニックになった。
すごく悔しくて泣きながら喚き
壁にドンドン頭をぶつけたように思う。
そして、そんな私を母は引きずり髪を引っ張り
棒のようなものでお尻を何度も叩いた。
あの時の、親戚中の唖然とした顔は今でも目に焼きついている。
汽車の中のボットンが私には一番の恐怖で
あの大嫌いなウネウネした汽車の繋ぎ目と
ガッタンゴットンの大音量の場所にあるトイレで
用を足すことはとうとう出来なかった。
とにかく殺されるほどの泣き声で暴れたらしい。
こんなことがあったので
(門柱事件は、私が小学生の時の話だが)
私がボットンで用を足すことが不可能であると判断した両親は
街の小学校へ入学させた。
私の絶対に出来ないことを認めてくれて
守ってくれたと今では両親に感謝している。
笑いすぎ!
2006.08.21
中学生、高校生の頃どうしてあんなに色んな事が可笑しかったのだろう。
笑いすぎてお漏らししたことありますか?
中学、高校とそれぞれ1人ずつ
私の目の前でお漏らしした友達がいます。
まずは、高校の時の話。
とても怖い先生がいた。
誰もがその先生を怖がり、授業中身動き1つできなかった。
私と友達は廊下でその先生を見かけた。
「すみれちゃん、あの先生に何かしてきてよ!なんか面白いことしてきたら千円あげる。」
そんなこと、普通の神経なら出来っこない。
友達は、私が絶対にする訳ないと思って
軽い冗談のつもりで言ってみたのだ。
「そんなこと、一万円もらってもできないよ!」
私が、そう答えると思っていたのだ。
でも私は・・・・・・・
「うん。わかった〜!でも千円いらないよ〜。ちょっと待っててね♪」
そう答えて、恐ろしい先生に背後から近づいた。
そして...
誰〜だ〜!!
とその先生のメガネの上から、目隠しした。
う〜ん誰かな?
すみれちゃんかな?
などと、答えるわけなかった...
華麗なる誤算...
鬼教師は思い切り、目を覆っていた私の手を振りほどき
ズレたメガネを直しながら、無言で私を睨んでいた。
先生が、何か言おうと口を開けた瞬間
「あ!人違いでした〜ごめんなさ〜い」
と、あまりの恐怖に嘘をついてしまった。
そして、その時見てしまったのだ!
その先生は、笑いをこらえていた
怒りながら、必死に笑いをこらえているのが
私には逆に恐ろしくて
座り込んでいた友達の手を引っ張り、逃げようとした。
でも友達は泣きながら
「ごめん。立てないの!」
え!?どうしたの??
その友達は笑いすぎて、お漏らししてしまっていたのだ。
その後、ノーパンでジャージを履き一日を過ごした彼女だった。
次は、中学の時。夏休みの部活に行く途中での出来事だった。
若い女の人が、犬を連れて散歩していた。
私の友達が大きな声で
みて!すごい靴下はいてる!
その女の人は、蛍光の黄緑色で赤いストライプの入った
ものすごく眩しい靴下を履いていた。
私は、シーッ!聞こえるって〜!と言ったが
その靴下の強烈さに目が眩み思わず吹き出してしまった。
その後はもう立っていられず
しゃがみ込んで笑いをこらえていたのだが
その女の人がすれ違いざまに
人がどんな靴下履こうが勝手だろ!!
って怒鳴ってきたのが、余計におかしくて
二人で涙を流して笑った。
その時、友達が漏らしてしまったのだ。
一瞬にして、笑いは消えた。
「部活いけないじゃん。どうすんの?」
その日は雨だったので、水溜りができていた。
この中に入って、ジャージ濡らしてごまかせば?
私が言うと、友達は水溜りに座ったり、うつ伏せになったりして
内腿側だけ濡れていたジャージの全体を濡らすことに成功した。
「でもすみれちゃん、こんなに濡れていたら部活なんてできないよ」
部活を休むなんて事は、考えられなかったがその時点で、すでに
遅刻だったので、遅刻のペナルティも面倒だった。
「どうする?今日は帰る?」
「ありがとう。すみれ!
帰るにしてもこんなんじゃ1人でバスに乗って帰る勇気ないもん」
あのね...もうひとつお願いが
あるんだ。すみれのブルマ貸して!
え...!?貸してって言われても
私も少しチビッているし、そんなん無理よ!
「ちびってようが、すみれのジャージは濡れてないから、いいじゃん。私はこのままじゃバスに乗れないもん。座席に座れないでしょう?」
じゃ、座らずに帰れば?と言いたかったが
その言葉を飲み込んだ
そして、彼女の剣幕に押され
私はしぶしぶチビッたブルマを貸してあげた。
バスは、夏休みだというのに男子高校生がたくさん乗っていた。
当然、ブルマでバスに乗っている彼女は注目されて
「なんだ〜あいつ!」「おい!アレアレ!」
などと指をさされて笑われていた。
自分の停留所に着いたや否や
私にバイバイも言わずに運転手さんの隣で運賃を支払っていた。
なぜか、その日に限って千円札を機械に入れていた。
そして、その千円札は何度も何度もウィ〜ンと戻ってきてしまい
また、高校生がドッと笑う。
やっと支払いを終えた彼女は
走ってバスを降り停留所の陰にかくれた。
そして、真っ赤な顔で私に小さく手を振っていた。
私と彼女はその後何年も、事あるごとにこの話をしては
あの若い女の人を笑った罰だよね。と反省した。
私は、彼女が私のブルマを履いて
千円札を崩している姿を思い出す度に
くだらないことでも可笑しく思えたあの頃が懐かしくなる。
思い出すと笑ってしまう話
2006.08.20
大人になってからの私の失敗談をいくつか記事にしたことがあったが
大人になってからも失敗している私...
当然子供の時には当然毎日漫画のような失敗をしていた。
小学5年だったか6年だったかは忘れたが
ある日の学校の帰り道。
私の家は、国道を横断しないと帰ることが出来ない。
私の家の付近には、横断歩道があったが
歩行者用の信号はなかった。
そこで、早く道路を渡って家に帰りたい私は
大きく背伸びして右手を限界までピ〜ンとあげて
車が止まってくれるのを待っていた。
私は、小学4年生から現在まで
身長と足のサイズが変わっていない。
とにかく大きな子供だった。
そんな私が、ピ〜ンとしている様は
周りからみればかなり滑稽だったに違いない。
みんなニヤニヤしながら止まってくれた。
私は、止まってくれた方に本当にありがとう!
という気持ちを込めて
車に向かって、きちんと正面に立ち、いつも深々とお辞儀をしながら
「ありがとうございました」と、声に出して言っていた。
その日もそこまではいつもと一緒だった。
(ドライバーは早くしてくれ!と思った事だろう...)
しかし...ランドセルが
きちんと閉まっていなかった!
必要以上に、深々とお辞儀をしたのが命取りだった。
私の足元には、教科書やノート
ぐちゃぐちゃになったプリントやハサミ。
シブがき隊やマッチなんかのシールが貼られたミーハーな
缶ペンケースまで、ガラガラガッシャ〜ン!!
これを拾い終わるまで、車を待たせるのは悪いと思った。
でも、車は何台もある。
缶ペンを踏まれたらぐちゃぐちゃになってしまうではないか!
そう思った私は、散らばった荷物を拾い始めた。
はじめはまず缶ペン、でも鉛筆と、定規と消しゴムがない。
今思えば、とりあえず目に付くものを拾っていけばいいものを
私は国道の真ん中に座って、ひたすら鉛筆を探していた。
私は大急ぎだったが、待つ方はたまらない。
私をよけて行けば良かったのだが
対向車が途切れなかったのだろう
車はとうとうクラクションを鳴らし始めて
窓を開けて怒鳴る人もいた。
私はその大きな音で余計にパニックになってしまい
何をしているのか
何をしたらいいのかわからなくなってしまった。
近くの商店のおばちゃんが、飛び出してきて
全て拾ってくれて、私と一緒に路肩に寄った。
その時、すみれちゃん危ないよ!
とかそんな事をいってくれたのだと思うが
あまり記憶にない。
ただ、止まってくれた車のナンバープレートだけは、未だに
はっきりと記憶している。
この光景は、思春期から20代後半までは
フラッシュバッグで時折思い出し
嫌な思い出でしかなかったのだが
それ以降は、なぜか嫌な思い出ではなく
私お得意の思い出し笑いに変わってしまった...
綺麗にピーンと伸ばしていれば
車が止まってくれると信じてた事
ミーハーな筆箱。
筆箱と鉛筆はワンセットだというくだらないこだわり。
周りの空気が読めない私。
あの時、私を待ってくださっていた車の方々には
申し訳なく思うのだが
思い出す度自分の馬鹿さ加減に吹き出してしまう私であった。
奈良の鹿
2006.08.09
奈良公園にて...。観光客が、しかせんべいを持っていると
たちまち鹿の大群に囲まれてしまいます。
あまりの迫力に子供はもちろん、大人でも引いてしまいます。
本当はあっちの小さい鹿にあげたいのに
ちゃっかりものの同じ鹿にばかり奪い取られる鹿せんべい...
そんな経験をしたことがある方、たくさんおられると思います。
ここで疑問なのですが
この貪欲な鹿達は何故
鹿せんべい屋さんを 襲わないのでしょうか?
いいえ...襲うどころか、近くに寄りません。
そこに、自分達のご馳走がある事は知っているはずなのに
見向きもしません。
奈良公園に隣接する春日大社には
鹿せんべいの無人販売をしていますが
こちらにはちゃんと金網がありますし
鹿達もクンクン臭いを嗅ぎに やって来ます。
私が見たのは、ほんの数回。
しかも20分くらいずつの時間ですから
それだけで断言はできませんが
あのお店の周りには、結界が張られているのでしょうか?
ここでせんべいをもらう事は出来ないと、知っているのでしょうが
私にとっては毎回興味深く観察してしまう小さな疑問なのでした。
追記:鹿の角って少しだけ柔らかくて、とっても暖かいって知ってましたか?
ビバ!ココセコム!
2006.08.05
あれはマルが小学校へ入学して、ひと月経った頃の出来事。いつもの集合場所へ{うちの下にある公園。歩いて数秒}向かった。
はじめは6年生が迎えに来てくれていたのだが
1人で出るようになってから 何日かが過ぎていた。
いつもは、窓から見送っていた私がその日に限って見ていなかった。
出発時間を10分程過ぎた時間に、インターホンが鳴った。
ドアを開けると4年生の男の子が二人。尋常じゃなく焦っている...
マルちゃんがまだ...*|\/%$あんな〜あんなぁ....
マルちゃんがぁぁぁ〜\:*%#
全速力で走って来たので{うち3階}息が切れているのと
焦っているのでなかなか話が見えない。
しかもメガネをしているその男の子は
漫画みたいにメガネを斜めにずれてしまっているのを治しながら手がブルブルと小刻みに震えていて
私にはそれだけで、何か大変な事が起きたと理解できた。
「マルがどうしたの?怪我した?もしかして公園にいないの?」
メガネの男の子に代わり、もう1人が答えた
いない!いないんです。家にはいない
ですか?さっきから皆で探しているんだけど...
(ハアハア)カクカクシカジカ...
その男の子が説明してくれている間に、私は頭の中を整理した。
モモがいなくなるならともかく...
マルがいなくなるということは考えにくい。
普段から1人では絶対に出歩かない事を言い聞かせて
十分わかっていたはずだからだ。
だからこそ、今は私が落ち着いて行動しなければ..
「うん。わかった。大丈夫よ!教えてくれてありがとう。皆には迷惑かけたね〜あとはおばちゃんがするから、学校に行くようにみんなにいってくれる?」
それからすぐにやるべきことは決まっていた。
マルの学年は女の子の数が極端に少なく下校時も女の子1人。
必ず男の子と帰ってきてはいるが 、いつ何時1人で帰ることに
なるかもしれないと、月額500円のココセコムを利用していたのだ。
まずは幼稚園の集合時間が来ているモモを連れて公園に出た。
足が地についているのか、浮いているのかわからないような感覚。
歩きながら、セコムに電話。
正直、電話をするだけでもかなり手間取った。
手足が異常に冷たくなっていて、手が痺れ震えていた。
電話のボタンがどうしても押せないのだ。
とても焦っていた。でも簡潔に説明しなくては...
ちょっとの時間が命取りになるような気がした。
子供がいなくなったんです ...
「わかりました。ご契約番号わかりますか?」
相手は朝も早いというのに爽やかで、とても落ち着いていた。
番号を伝えた後
まず、私の知りたい事ですが
今いる場所の他に、徒歩で移動しているのか
車で移動しているのか
を知りたいんです!
そういうのってわかるんでしょうか?
と聞いてみた。
すると、しばらくして...
「わかりましたよ。今、○○駅の近くです。」
駅!?
駅は学校の方面にあることはあるが
マルの通学路とは全く違う道に行かないと、そこには出ない...
祈るような気持ちだった。
もし車で移動していたとしたら...
次は警察の力を借りなければならないだろう。
「...わかりましたよ。お子様は今、徒歩で移動していると思われます。」
...徒歩..それだけでも、救われた...
だんだん落ち着きを取り戻してきた私を励ますかのように
セコムの方が続ける。。。
「今、住宅地に入ってます。○○さん宅を過ぎました。今○○さん宅前...ご存知ありませんか?」
だんだんと、私の知っている名前も出てきた。
「あ!知ってます。
その付近なら学校のすぐ傍まで行っているはずです。」
幼稚園の集合場所でそんなやり取りをしていたため、私の会話を
心配そうに聞いていた一人が、そのセリフを受けて
すぐに学校に連絡をしてくれた。
教頭先生が門の外に出てくださり、マルの無事が確認されたとの事
セコムの担当者に涙ながらにお礼を申し上げて
心配してくれたママ達にもお礼を言った。
みんな、口々に
セコムでそこまでわかるなんて、ちょっと驚いたよね?
車にのっているかわかるなんてすごくない?
私やったら、まず警察に連絡しちゃって騒ぎ大きくするところやったかも...
みんなの言っていることに、私も同感だった。
何より、担当者のプロの対応に助けられた。
お名前もをお聞きする余裕がなかった事を後悔している。
【追記】:マルは集合場所に、一番初めに着いたらしい。その日に限り
皆が来るのがいつもより遅くて、自分が遅れた!と焦った
マルは、走って走って追いかけていたらしい。
いくら走っても、自分の集団がいないとわかったマルは
1人で不安になり、下を向いてトボトボ歩いていたら
反対方向の駅に出てしまったそうな..
でも、その地域の集団に助けていただき
そこの六年生の班長さんと、ちゃっかり手を繋ぎルンルンで登校して来たそうです。休み時間に遊ぶ約束までして(笑)遊んでもらったそうです。
知らせに来てくれた優しい4年生の男の子にも大感謝でした。
あだ名の話
2006.08.03
マルが、学校の男子にたまご と呼ばれているそうだ。
「むかつく!!」
と本人はいうが、可愛いじゃないの。
ちなみに、「こうすけ君」は「ひこうき」
「しゅうすけ君」は[しゅうまい]
「やすかわ君」は「やきにく」だそうだ。
やすかわ君なんてやしか合ってないし...
どれもこれも単純で、ひねりもなく子供らしいと思うのだけど
結構子供にしたら、深刻な悩みのようで...
私の、小学校のあだ名はどじ
私が、あまりにもおっちょこちょいで間抜けだったから
昨日の記事のあの担任が、つけたあだ名だった。
このあだ名を一部、中2の頃まで引きずったが
不思議と嫌じゃなかったな。
ただ...私が1人で窓全開のバスに乗っている時
歩道からあ!どじだ〜!バイバ〜イ!どじ〜!バイバ〜イ
と、大声で言われた時は気まずかったなぁ。
そんなエピソードを盛りつつ...
マルに
「ね!ドジより、ましやろ〜?たまごちゃんなんて可愛い♪
お母さんは羨ましいぞ〜!」
なんて慰めてみた。
そこで、近くにいた旦那が口をはさむ。
「小学生のつけるあだ名は可愛いのう〜」
お父さんにもあだ名があったぞ...(遠い目)
「たまごよりましやろ?たまごが、一番可愛くないもん!」
「フッ...」(旦那遠い目で、なぜか余裕の含み笑い...)
「お父さんはな〜うまっていわれたんや...」(さらに遠い目)
「ウマ?」

「馬?」

ウマ〜??
馬だって〜!!ヒィ〜(笑)
ただの馬!だって〜アハハハハ〜
キャハハハ〜!
マルが言った。
「マルはたまごで良かったよ。たまごの方がまだマシやし、人間だもん。動物は嫌やもん!」
いや...ちょっと待て...たまごは人間じゃないぞ。
でも、せめて馬ちゃんとか、馬っぺとか愛のあるひねりはなかったのか??(笑)
ちょっと面長なだけに妙に生々しいあだ名である。
私が苦手なもの
2006.08.01
よくここに来てくださるぴよこさんの記事[長男とおでかけ]を見て、思わず息子さんに共感してしまいました。
(残念ながら、現在ぴよこさんはサイトを閉鎖されております)
なぜなら、私も電車とホームの隙間が大の苦手。
駅によってすごく空いてる駅ありますよね...
あそこをまたぐには、どんなに混んでいても心の準備が必要な私。
電車の中から自然な歩調で出る事はできません。
あの手前で一度足を揃えてから、決死の覚悟でまたぎます。
たまに、ラッシュ時乗客に押されるがままに
渡ってしまう事がありますが、後でちょっと怖くなり
ドキドキします。
1人でもそんな調子なので、子供が歩くまでは
電車でお出かけなど、できませんでした。
ベビーカーを押して、もしくは子供を抱いて
あの隙間をどうやって渡ればいいんだ〜!
それに、私はエスカレーターも怖い!!
そんな事いったら、変人扱いされるので涼しい顔で乗っているが
あんな恐ろしいものはない!!
高所恐怖症じゃないのよ。
むしろ高い所は好き。
ジェットコースターでも何でもござれの
スリル大好き人間でございます。
じゃ、なぜ苦手と申しますと...
あの、乗り降りする所が大嫌い!
特に、降りる所!階段が吸い込まれて行くのが怖い。
乗り降りのタイミングも未だにつかめない。
ヒールなんか履いた日には、絶対無理。
私、健康の事考えておりますので、階段で行かせて頂くわ〜
ホホホ!
あれも、よくベビーカーを器用に乗せて
しかも後ろ向きに乗っている人いるよね〜
尊敬しちゃう。
子供と手を繋いで乗るだけで命がけの私です。
あとは、電車のつなぎ目。これはかなり怖い。
今の電車はそんなに怖くないけど
昔のつなぎ目ってホントに怖かった。
あの、蛇腹みたいなアコーディオンカーテンみたいなのが
ウネウネ動いているのが怖いのなんのって。
しかもあの付近って独特の臭いと
電車の音がひときわ大きく聞こえるし
視覚、聴覚、嗅覚すべてがノックアウト。
中学生の頃だったか、中国に行った時
街を走るバスに仰天した。
今、同じようなバスが走っているかはわからないが
当時私が見たバスは

日本を走っているバス2台分が、蛇腹で繋がれていて
それはそれはとっても長いのだ。
すごく長いので蛇腹の部分は、ウネウネしまくっていた。
とても珍しいバスだったので、見たかったし写真も撮れば良かったのだけど、やっぱり蛇腹が怖くてどうしても正視できなかった。
他にも苦手なものはたくさんある。
カーステレオやテレビは聞こえないくらいでちょうどいい。
大きな音と、ごちゃごちゃした音は最も苦手。
人が、普通に聞いている音でも大きく感じる事は
しょっちゅうあってそんな時に、モモに質問攻めにあったり
姉妹喧嘩が始まるとパニックを起こす!
冷静に話なんて聞けない。思わず耳を塞いでしまう。
それこそ、ひっくりかえって泣いて暴れたくなってしまう(笑)
大人だから、我慢するけど。
ちなみに、私は興奮すると大声になるらしい...
というか、笑い声が大きいらしい。
興奮すると声の調節ができないのだが(笑)
たまーに、モモに耳を塞がれてハッと我に返る。
自分さえ良ければいいのか...私よ。


