スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

マルの登校拒否時代その2


転校しても学校に行かないということは
やはり、精神的な何かがあるか
家族に問題があるのだろうと思った。

しかし、家族に問題があるのに家に引きこもるのは
私には理解できなかった。

家にいても仕方がない。
血の気のないひどい顔色をしたマルに
なんとしても外に出て欲しかった。

どうして学校に行かないの?
高校に行けなくなっちゃうよ?
どうして何も話さないの?

いつもいろんな「どうして??」で頭がいっぱいだった。

でも、そんなことはどうでもよくて
ただ日の光を浴びて欲しい、ご飯を食べて欲しい。

いつしかそう変わっていった。




スポンサーサイト

マルの登校拒否時代その1

マルちゃんのカテゴリに引きこもり始めた当時の様子は
まとめていたようなので、簡単に振り返り記録しておこうと思う。

彼女は中二と記憶しているようだが
彼女の記憶は曖昧であり時に全く事実と違うことを
間違えて記憶している。

正確には中一の夏、ここから異変は始まった。
学校へ行かない、部屋に引きこもる、ご飯を食べない。

理由は一切話さないのだが
理由さえあればすぐに解決できることだと考えていた。
しかし、私のわかる範囲での理由はなかった。
友達関係も、成績も問題はなかった。

そのうちに、部屋に奇妙な文字や記号の描かれた紙を
貼り出した。
もちろん「これは何か?」と聞いても答えてはくれない。
中学三年生の夏まで、私はマルとまともに話すことができなかったし
彼女の笑顔を見ることもできなかった。

自傷行為、部屋で暴れまわり物を破壊する。
ある日はいつもの能面のような顔で9時間にわたり
机にカッターを刺し続けた。

自殺未遂も何度かあった。

その間に、私は中学の先生と面談をし
スクールカウンセリングを勧められた。
それから、転校をした。

しかし、状況は変わらなかった。


結局何も変わらなかった。


続きを読む

テーマ : 発達障害
ジャンル : 福祉・ボランティア

中1冬~部活に復帰

冬休みは 宿題以外の勉強は一切しなかった。
時々友達に誘われて
出掛けたりリフレッシュは出来たようだった。

三学期が始まると
部活動に復帰した。

二学期に退部届けを出したマルだったが
顧問の先生の計らいで 休部扱いになっていたようだ。


とにかく 同級生と
先輩からも 『天然ちゃん』 と呼ばれ
愛されていたマルは
学校で連日部活に復帰するように言われ続け
『三学期から戻る』と
答えていたようだった。

学校へ行った日は必ず部活をして帰って来たが
それでもやはり学校へ行くことは気が進まない様子ではあった。

朝から

食の大切さ

食事について書いたのでついでに 現在までの様子を書いておこうと思う。


食べることに執着がなかったこと

お腹がすかない環境にいること

無気力で食欲すらないこと

食べないで死ぬなら
それでもいいと本人が思っていること


そこで 私は考えてみた。
食事に対する楽しみを失っている


考えてみれば
私は同居してから、味付け品数色んな面から
食事には気を遣ってきた美味しい食事を家族に
提供したいと、自分なりに試行錯誤はしていた。

でも
私のメニューは義父母を念頭においた物だったような気がする。


そこで、 メニューの改善からとりかかった。
そうだメニューの改善の前に
庭の畑に野菜を植えることから始めた。

好きな苗を子供たちに選ばせて一緒に植えた。


ついでに花壇にも
子供たちが選んだ花を
たくさん植えた。


マルとモモがトマトばかり選ぶので
七種類のトマトで畑は埋め尽くされた。


うちは ミネストローネが大好物
ホールトマトではなく
フレッシュトマトで
作りたいね~ と
よく話していたので
子供たちはそれを期待していたのかもしれない。

この夏は 凄い量のトマトを食べたが
マルの食欲が低下してからの生野菜嫌いが
このトマトで解消された

それから 潔癖症については後で詳しく書こうと思うが
食器を新しくしたことで更に食欲増進に効果があったのは間違いない。


食欲が出てきたことで
精神的な安定も出てきた。
何より、外食とか何よりもお母さんの料理が食べたいと言ってくれるようになった事が嬉しかった。


食事を美味しく頂けること、笑顔で頂けることがこんなにも大事で
幸せなことだったのだと初めて知った。

中一(食事について 2)~家での食事

同居したころは、マルも小学生だったので
義父母に合わせ、夕方6時が夕食の時間と決めていた。

食事中には、義母が一人で喋り続け
子供たち2人が、私と話したいのに話せないという状況が続いていたのと
義父母は、もう少し早くに食事をしたいこと
私たちは、もう少し遅くに食事をしたいことで
平日は、義父母と別に食事をとるようになった。

食事の準備は1Fのキッチンでして
義父母の食事を出したら、2Fの分を持って上がるという感じに。

週末は、家族全員での食事を習慣にしていた。


いつしかマルは義父母と一言も口を利かなくなっていたし
旦那に正座で怒られたあの日からは、旦那とも口を利かなかったが
週末のその時間は、食卓につき
私に、食事の感想を伝えたり、何かしらの会話もしていた。




私との喧嘩の後にはマルはよくハンストらしきことをした。
その日も、確か 何かのきっかけで言い合いになり
気分を損ねたマルは、食事を採らないと言い出した。


食事をいらないと言い出したら
絶対に食べないのを知っている私は、もう説得もせず
勝手にしろと、放っておいた。

しかし、翌日には
前の日の喧嘩のことなどなかったように
ふるまった。

マルが自然に食事ができるように。




お腹が減っていたのだろう。


いつもと何も変わらず、私は食事にマルを呼んだ。
マルは、1Fに降りてきて自分の席に着いた。



マルが食べようとした瞬間のことだった...




お前も、根性のないやっちゃなあ!!!

食わない言うてたの昨日のことやないか(笑)


まあええわ。 味わって食えよ!!!






旦那の言葉に




マルは、食事を採らず無言で自室に戻った。



私も、このセリフを言った旦那を未だに許せてはいないし
思い出すだけでおぞましい。


それまでは、何があっても食事には来ていたマルが
あの日からもうずっと週末は自室から出てこなくなった。


その後、数日食事を拒否し続けたマルに
水分と、せめてお菓子だけでもと
無理やり食べさせ、週末は自室に食事を運ぶことにした。



正直 こんな親になるとは思っていなかった。


引きこもりに食事を運ぶ親を見て、バカじゃないのかと思っていた。
そんなことをするから、子供はつけあがるのだと思っていた。


だから、最後まで抵抗感でいっぱいだった。


でも、食事はさせたかった。
すべての源になるものだと信じていたから
食事だけは、きちんと食べさせたかった。



家族みんなで鍋を囲むって、あたりまえの光景だと思っていたけど
それはすごく幸せで、贅沢な時間だったのだと
今になると、些細なことがすごく懐かしくなる。





追記


旦那は、食いたくないやつは何日でも放っておいたらいい。
食わずにはいられなくなって、向こうから折れてくる
お前は、ここで負けるからあかんねん!

と言った。

正直、その気持ちはわからんでもない。
でもそれは間違いなくマルには通用しない。
折れるくらいなら、餓死を選ぶ子だと私は知っている。

それに、食事の権利を子供から決して奪ってはいけないと
私は思う。
どんなに喧嘩をしても、食事抜き!という罰は与えてはいけないと
思っている。

大人はこっそり、外で食べることができるが
子供は、それすらもできない。

あの いやらしい

味わって食えよ の一言が今も耳から離れない。



マルの部屋に食事を運ぶことについて
それこそ旦那は烈火のごとく反対したが
私は、こんなことにしたのはあなたの一言があったからだと伝え
食事だけは、採らせたい。
それでも反対するなら離婚するから。

と、私は意思を貫いた。





リンク
検索フォーム
月別アーカイブ
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。