すみれの話ー小学生時代
- ズルのこころ(07/08)
- ズタボロ騒動すみれ6歳の春(04/17)
- 黒い夜のけもの道(02/27)
- アイドルになりたかったのかっ!!(02/26)
- ああ...勘違い(12/17)
ズルのこころ
2008.07.08
知恵の輪ってさ…大人になるまで用途がわかんなかったのね…簡単に外れるのに
なんで みんな… そんなに時間がかかってるの!?
はい…引きちぎってました力づくで。
結構 用途を理解せずに
遊んだ玩具ってあったような気がするなぁ
違う用途に使う事も多かったのだと思うけど、具体的には思い出せない。
きっと 気が付かなかったものは、そのままだもんね。
あと、今思い出したのは
小学校一年か二年でやったプールの中での碁石拾い。
みんな拾うのが遅い…
遅過ぎる訳です…
みんなが一つ拾う間に
私は何個も何個も拾えるのね…
あのう...私...
足で拾ってました!!
ズルーッッ!!!!
と 言う声が聞こえて来そうですが…
全くズルをするつもりは
ありませんでした。
恐らく先生の指示が きちんと理解出来ていなかったのでしょう。
そして、周囲の様子を見て行動する なんて
高度な技術も持ち合わせていなかったんだよね。
周囲から見たら、ズルイとしか言いようが無い行動でも
本人は、そんなつもりがなかったってこと
結構あるんだろうな。
ズタボロ騒動すみれ6歳の春
2007.04.17
こんな話を聞いたことがある。自分が産まれた日の天気は、その後の人生に大きく関わってくると…
私が産まれたのは、11月の初めだったが、大雪だったそうだ。
雪国だったので、ありえないことではない。
しかし私と雪には恐ろしいほどの縁があり、何かの節目には
必ず大雪に見舞われるのが、定番なのである。
自分の結婚式も大雪だった。
私の現在住んでいる場所は、殆ど雪は降らない。
たまに降っても積もる事はなく、雪だるまを作るなんてことは
この辺のちびっ子達にとっては、夢のまた夢なのだ。
しかし、雪はやって来た…
結婚式当日の朝…テレビでも、外でも大混乱たった。
「10年ぶりの大雪に見舞われて…」
「すべての交通機関がストップ…」
すべての交通機関がストップ!!?
私はすぐに実家の母に連絡をした…
母達もパ二ックになっていたらしい…
仕事の関係で、前日に関西入りが出来なかった私の家族や
親戚達は、当日の朝に飛行機で来る予定であった。
式は午後3時からだったが、新幹線も動いていない状態である。
幸い、私達夫婦が最後の組であった為に
ホテル側の配慮で3時間遅れで式をすることができた。
やれやれである…
しかし、それだけではない。
ここに挙げているのはほんの1部である
結婚式に絞って、例を挙げてみよう。
それは弟の結婚式でも
妹の結婚式でも起きた…
(みんな揃いも揃って冬に結婚しなくてもいいと思うのだが…
余談だが、ウチの両親と私達夫婦と、弟夫婦は、全く同じ日に
結婚式をしている…
意味不明!!誰もそんな事を合わせていない
単なる偶然なのである。)
私は、妹の時も弟の時も雪の為に飛行機に乗れなかったのだ…
もしものことを考えて、前日に行動していたので
式に遅れることはなかったのだが
とにかく雪…私が勤くと雪が降る…
家族や、親戚達にはそう決め付けられている私であった。
さて、本題…(今からかよ〜っ!!)
私の小学校入学式…
その日も雪はやって来た…
4月の初めだというのに、ドカーンと気持ちのいい大雪である。
アスペな母は、その日には着物を着ていくと決めていたので
なかなかスーツに変更する気持ちになれずに
朝からパニ<っていた。
機嫌の悪い母は、入学式用に祖母が買ってくれたピンクの
ワンピースの上に、コートを羽織るのを嫌がった私を罵っていた。
しかし、せっかくのお気に入りのワンピースがコートで
隠れてしまう事は、私にとって受け入れがたく...
しかし、母の言う事は絶対であったために
私はしぶしぶコートに袖を通した。
式が終わり、教室で先生のお話を聞いているときに
私は、自分の机の中にあるお道具箱を開けた。
中には、新品のハサミや糊やクレヨンが入っており
ワクワクドキドキの新品の香りがした。
私は、ハサミを持つと何でも切ってしまう癖があったために
家でハサミを持つ事を母は嫌がった。
しかし、このお道具箱には自分専用のはさみがある。
私の心は躍った。
先生の話なんてちっとも耳に入っていない。
すると、隣の席の男の子も私の真似をして
お道具箱を開きはじめた。
2人でガサゴソしていると、後ろに立っていた
私の母と男の子の母がたまらず寄って来て、私達に注意をした。
母の顔は尋常じゃない怒りに満ちていたので、私はすぐに
お道具箱をしまった。
しかし、私ははさみだけは片付けなかった。
どうしても、持っていたかったのだ。
ハサミを持つと、何かを切りたい…
しかし、適当な紙はなかった。
教科書を切ったらいけないというのは、ちゃんとわかっていた。
そうだ!
私は閃いた!!
自分の着ている可愛いワンピースをもっと可愛く出来ないか
考えたのだ。スカートの裾をギザギザにカットしたら
お姫様のドレスみたいになるかもしれない…
私はそ−っと、スカートにハサミを入れた。
ジャキン。
新品のハサミはとてもいい音でスカートを切り裂いた。
私は、そ−っとそ−っと、その作業を続けた。
しかし、隣の真似っ子男がかなりの動揺をみせてしまった。
私の行動に相当なショックを受けたようで
どうしていいかわからずに、あちこち見回して誰かに助けを
求めるような素振りをしていたようだ。
現れたのは、先生ではなく鬼と化した母であった…
母は、私の手からハサミを取り上げ
自分のバッグにしまいこんだ。
そして…
帰ったらわかってるだろうな…
の睨みをきかせ、また後ろに戻っていった。
私は、それがいけないことだとそこで悟った…
可愛くしようと思ったが、確かに可愛くなんてなっていなかった。
あんたって子は…
何を考えているんだ…
先生の話なんで聞けないの?
せっかくおばあちゃんに買ってもらった洋服…
帰りの駐車場に向かう道すがら
私を小突きながら、母は思いつく悪態の限りを吐き出した。
しばらく歩くと、駐車場に着いたが母の怒りは冷めやらず
馬鹿だ…本当に… 落ち着きがない…
ぶつぶつ言いながら、うちの車を横切った。
私は、一瞬......
うちの車に乗る前にどこかに用事があるのだと思ったが
母は鍵を手に、明らかに車を探していた。
血眼だった…
通り過ぎた事を伝えようと思ったが
口を開<と殺されそうだったので、我慢した。
ただ、ひたすら母の後を小走りでついてまわる…
あちこち刻んだスカートの隙間から入り込む風が
とても冷たくて、母に対する恐怖が増長した…
母は、やっと自分の車の存在に気がついたが
その頃にはすでに駐車場には私と母しかおらず
私の身体は冷え切っていた。
すると…母は、雪の上に座り込み
泣き出した…。
私は、初めて母が泣いている姿を見た。
母は結局、悩んだ挙句に着物を着ていた。
雪の上で、しかもタイヤの跡や泥がたくさんついた駐車場の
地面の上でうずくまり泣いていた。
母を悲しませたのは私だから、私も泣いた。
母がかわいそうだと思った。
もう、母に対する恐怖も寒さも忘れていた。
ひとしきり泣いた母は、着物についた泥や雪を適当に払い
私を車に乗せて、突然写真館に向かった。
私も母もボロボロだった。
しかし母は、私と2人で写真を撮った。
写真館の人が、洋服を貸しましょうか?
と聞いてくれたが、母は断わった。
母にどうして、急に写真を撮ったの?と聞いた。
母は、今日のことを忘れないためだよ…と笑った。
そして....
すみれが忘れないようにじゃないよ。
お母さんが忘れないようにだね。と付け足した。
私はそれ以来、その写真を見たことがないし
私はそれ以来、母が泣いた所を見たことがない
入学式の時期が来ると、毎年鮮明に思い出す
ちょっと切ない30年前の思い出。
モモの入学式の晴れやかな姿の写真を見て
母も思い出しているのだろうか…
黒い夜のけもの道
2007.02.27
私の通っていた軍隊式小学校(興味のある方はカテゴリーの軍隊式小学校シリーズを御覧ください)
では、年に数回全国からお客様を招き
軍隊式教育の成果を発表していた。
この発表会が近づくと、お家芸である器械体操の練習などに
小学生でありながら、夜の8時近くまで時間を費やす事も少なく
なかった...
下の写真は、軍隊式小学校があった私の田舎の写真である。

御覧のとおりのド田舎...
ここまでのド田舎になると、昼間でも怖い事がある。
子供の頃、何気なく感じたその怖さの理由は
高校を卒業して、上京した私が帰省した時に
はじめてわかったのだった。
音が無いのである。
全く無い事はない...
虫が泣く音、国道に出れば車の音ももちろんする。
飛行機やヘリコプターが飛んでいれば、そんな音も聴こえる...
しかし...都会の騒々しさに比べたら
この静寂は、あまりにも不気味なのであった。
発表会の練習が終わった後の帰り道...
これは、私にとって耐え難い恐怖との闘いであった。
あの静寂と、数々の自然の演出が夢に出てくる事がある。
決まって、泣きながら目を覚ますのであるが
当時の私は、涙を流す事も、怖いと訴える事もなかった...
ただひたすら、走った。
深く、黒い闇の中で聴こえるのは、私の足音と
呼吸と、ふくろうの声だけだった。
小学校から、家までのコースは2つの選択ができた。
1つは、国道沿いの歩道をひたすら真っ直ぐ進む
もう1つは、けもの道や林を抜ける近道であった
私は、けもの道を通ることしか考えられなかった
なぜなら...
正式な通学路は、けもの道であり
国道沿いを歩く事は禁止されていた。
今の私なら迷わず、国道を選ぶだろう。
しかし、当時の私には学校のルールは絶対であったし
いつもと違うパターンを変える事は
けもの道を選択することより
不安で、怖いことだったのである。
途中までは、まばらに民家がある。
その民家の付近には、沼...池のようなものがあり
水面はいつも黒光りしていた。
沼を囲むように生い茂る木から垂れ下がる枝や蔓が
まるで、生き物のようだった。
ウシガエルの鳴き声が、恐怖に拍車をかける。
しかし...そこはまだ序章にすぎなかった。
魔界へのほんの入り口だったのである。
民家がなくなってくると
麦畑と田んぼがひたすら広がるけもの道に入る。
もちろん街灯はない。
異常に青白い月明かりと、暗闇にもすぐに適応できる
自分の目だけが頼りであった。
ここでの恐怖は、喩えようがない...
800メートル先に広がる、真っ黒に広がる林をめがけ
ただひたすら歩く。
突然ヘビが横切ることもある
用水路に誤って片足を落とすこともあった。
しかし、そんな事は私にとって些細なことだった。
目の前に広がる黒い林の中をどうやって切り抜けるか
それを考えることで一杯なのであった。
鼓動は高まり、息が苦しくなるのだが
林の中で全力疾走をするために、このけもの道では
歩くことに決めていた。
胸がドキドキしたら、息が苦しくなって
走る事ができない。
でも、考えれば考えるほど苦しくなって
私はいつもここで、パニック寸前になっていた。
昼間でも暗いこの林の様子は、何度も通っているので
目をつぶってもわかる。
この林の中には、私たち地元では

ヘビのおっかさんと呼ばれる
上の写真の植物が群生していた。
このへびのおっかさんは、様々な種類があるのだが
この林の中には、ストライプが鮮やかで
とても大きな
キングオブへびのおっかさん
が、並び一斉にこちらを見ているのだ。
中に入ると途端に空気が変わる。
とても冷たい、独特の香り。
黒い林の空気が私の身体に染み渡る...
私はその気味の悪い空気をなるべく吸わないように
へびのおっかさんと目を合わす事がないようにひたすら走る。
全力疾走で突入すると、林の中では異変が起きる。
足音に驚いた生き物達が一斉に、バタバタ、ガサガサ
必死でどこかに逃げ込む音が鳴る。
その音がまた私をビクつかせるのだった。
林を抜けると最後の関門が残る。
未だによくわからない、謎の鳥居と小さな祠が
あるのだ。
鳥居は、とても古いものでけもの道から更に
けもの道を進むとくぐれる様になっているのだが
私達の通学路からは、鳥居の頭の部分しか見えない。
森の中に見えるその鳥居と、ほこら...
ほこらの脇には大きな桜があるのだが
私は、今日まで,その桜より綺麗に咲く桜を見たことがない。
私たち小学生は、その道を奥に進み
ほこらに行こうとする者はいなかったし
そのほこらについて、話す事もなかった。
大人達からも、何も聞いたことはなかった...
もしかしたら、私にしか見えなかったのかもしれないと
思うこともあったが、確かに鳥居もほこらも存在していた。
そして、見事な桜も...
その場所は、必ず霧に包まれていた。
他に霧がかかっていなくても、必ずそこだけは霧に包まれていた。
もしかしたら、それこそ幻だったのかもしれない。
私の恐怖が霧に包まれた鳥居を連想させたのかもしれない。
そのほこらを過ぎると、すぐに国道の歩道に出た。
母は、私があの道を1人で帰ってきていることを随分後から
知った...
国道沿いを帰るように言ったが、それでもけもの道を帰ってくる
私と何度も揉めた後、熱い男(担任)に相談したようだ。
熱い男は、そんなもんたいした事はない!!
ただの田舎道じゃないか!!心配しすぎ!!
と母に反論したようだったが
原付で、私の通る道を試しに走ってみたという...
すぐその足で私の家に訪ねてきた熱い男は
母に謝罪し、私を暗くなる前に帰す事を約束した。
あの道は...原付に乗っていた大男でも身震いしたという。
僕でもあそこを1人で通れと言われたら...無理です。
熱い男は、申し訳なさそうに頭を掻いていた...
※ヘビのおっかさんは、正式にはマムシグサだそうです。
画像は植物園へようこそ様よりお借りしました。ありがとうございます。
アイドルになりたかったのかっ!!
2007.02.26
私が小学生の頃は、アイドルブームであった。聖子ちゃん派、明菜ちゃん派...
はたまた、たのきんトリオやシブがき隊。
アイドルが偶像化されていた時代...
今のような自虐的なお笑いや、ちょっとした個性も
市民権を得る事が難しく、私のような根っからの
おっちょこちょいの三枚目には、生きにくい時代でもあった。
そんな私だったが...
そんな三枚目のおっちょこちょいが...
密かにアイドルになってみたいと思っていた。
いや...密かにではなかったのだが...
今思えば身の程知らずな事を考えていたものだ。
その当時、カラオケなんてものは
身近なものではなく
歌が大好きで歌いたくて歌いたくて仕方がなかった私は
アイドルになるしか歌う道はないと思い込んでいた...
私のブログの記事にもなった友人(笑いすぎて漏らした事アリ)
も、アイドルになりたいと強く思っていた1人であった。
お互いの気持ちを告白し合い、2人で夢に向かって
頑張ろうと固く誓った。手始めに、芸名を考えた。
私は、河嶋すみれ
友人は、松本鈴音だった。
ちなみに、以前よくここに遊びに来てくれていた
千遥さんは
鷹野亜希だったと思う...
(千遥さん、全くアイドルに興味ナシ...ただ芸名だけ付けた
流行ってたから(笑))
その次に考えたのが、もちろんサインであった。
そのサインは、今でも私はスラスラ書ける。
何度も何度も練習したし、家でいつも1人で遊んでいた私は
孤独なリサイタルを開いてはサイン会もしていた。
学習机の向こうに、ファンがいるのだ。
私は1枚1枚、心を込めてサインしては
「ありがとう」と両手で握手をする真似までしていた。
私の場合は、歌を歌う事が目的だったので
もちろん、作詞作曲も手がけた。
タイトルは「海辺の潮風」
この歌は、♪海岸を走ってあなたの元へ〜
と言っているくせに、日が暮れるまで1人で貝殻を拾い始めたり
日が暮れているはずなのに、♪眩しい朝日が〜
などという、何ともめちゃくちゃなイタイ歌詞なのであったが
私は、恥ずかし気もなく
家族の前で弾き語りしてみせて、学校では
「新曲が出来ました!!」などとぬかして
友達の前で披露した...
まるで剛田武である...
しかも私は、軍隊式小学校に通っているはずなのに
松本鈴音と、「ここは堀越学園だからね〜」と言い張っていた。
母には、毎朝
「ホリコシガクエンに行って来ます!!」
と言って出かけた。
辛い軍隊式の訓練は、芸能人運動会のための練習だと言い聞かせ
給食の時間には、料理天国にゲスト出演したつもりで
優雅に食べた。
しかし...私の妄想はここまでだった。
ある日、学校から帰ると
私の弟と妹がコソコソと身体を寄せ合い笑っていた。
2人の間には、カセットが置いてあり、そこから
海辺の潮風が流れていた...
気持ち悪いね〜
お姉ちゃん、馬鹿みたいだね
恥ずかしいね
この時の私の衝撃は...表現できない...
私は、猛烈に怒りながらカセットを取り上げて
自分の部屋で息を切らしながら再生した。
それは、私が録音したものではなかった。
弟がいたずら心で、私の弾き語りを録音していたものだった。
だから...私ははじめて自分の海辺の潮風を聴いたのである。
!!!私の背筋に冷たいものが走った...
まず...声が気持ち悪い
耳を塞がずにはいられない、ダミ声...
その上に、ハフハフと息継ぎをしているのが何ともウザイ...
こんな、腹の立つ歌を聴いたのは初めてだった。
自分でもこんなに腹が立つのだ...他人はどれだけ
この歌を聴かせられてどれだけ迷惑だったのだろう...
その日から、数年...
私は人前で歌う事ができなくなってしまった。
次の日、私は松本にアイドルをやめる事を告げた。
松本もそろそろ飽きてきていたのであろう...
じゃあ、何か違う事しない?
漫才とか!?
この漫才コンビは、結構長く続いた。
担任の熱い男も大喜びで、私たちの舞台の為に
HRの時間を削ってくれたほどだ...
ネタは全く面白くなかったのだが
どんなに面白くない事を言っても熱い男が、飛び上がって
喜び、グローブのような手で割れんばかりの拍手をしてくれた。
それまでの私は、3枚目のクセに、無理に背伸びをして
みんなと同じように...同じように...振舞わなければ
ならないのだと思い込んでいた。
自分の弱みを見せず、出来ない事も出来るフリをして
失敗をしても、それを隠そうとばかりしていた。
失敗してもそれを隠さなくてもいいじゃない...
人に笑われることは、悪い事じゃないじゃない...
私が、自らの失敗をこうして記事にして
みなさんに笑っていただくようになった原点は
熱い男と、松本と、私のキョウダイと...
海辺の潮風にあったのである。
そんな理由から、私のHNは迷うことなく
すみれにしたのだった。

ああ...勘違い
2006.12.17
すみれが小学校1年生の時のお話...1年最後の終業式のことだった...
お父さんが警察官をやっているというS君が
(ちなみに出席番号6番)
この日を最後に転校するという。
前々から知っている子もたくさんいて、数人は親から渡された
餞別の品を学校に持参してきていた。
先生が厳かに話し始める...
来年もこのクラスのまま
2年生になるわけだが...
今日はとても残念なお知らせがあります。
この中に、別の小学校にいってしまう子がいます
お父さんが警察官をやっているので、これからも
何度も転校していくのでしょう...
頑張りなさいよ!さぁ...前に出て
みんなに挨拶をしましょうか...
先生が拍手をする。
それにつられて、皆も拍手をする。
拍手の花道を神妙な顔つきで一歩一歩前に進んでいく...
そのS君の後ろには、もう一人の人物が...
これまた神妙な顔つきで、一歩一歩教壇に向かっておった...

私だよ!
そう...S君の後ろから、おずおずと付いていき
私はS君の隣に並んだ。
クラスメイトは状況が飲み込めず、一斉に先生と私の顔を
何度も見ている。
S君は、隣に並んだ私を見て驚きを隠せない様子...
「え!」と小さな声で言った後、目を見開きこちらを伺う。
定年間近の担任の先生が、私に優しく声をかける。
すみれちゃんは
自分の席に戻りなさいや〜
静かに首を振る私に先生が続ける。
え...と、ここは転校する子
が挨拶するところですよ。
すみれちゃんは、転校しませんよ〜
自分の席に戻りなさい。
転校...します・・・
小さな声だったが、きっぱりと私は先生に伝えた。
まるで、武士の妻のような...
控えめでいて、どこか強さを感じる凛とした姿がそこにあった。
一斉にクラスの皆が騒ぎ出す...
(たいして好かれてもいなかったが)
え〜!!すみれちゃんも転校するの??
いやだよう〜〜っ!!
どこに行くの?遠くに行っちゃうの?
みんなの驚きぶりもすごかったが...
1番驚いていたのは、先生だった。
すみれちゃん、せ...先生は
お母さんから何も聞いてませんよ...
それは、本当ですか?
嘘だったら先生は怒りますよ。嘘をついているのなら
今すぐ席にもどりなさい。
嘘ついてない...
本当に転校するって、お母さんが言ってた。
武士の妻が、声を震わせながら訴える。
私は嘘をついてはいなかった。
家の近くにあった軍隊式小学校に入学しなかった理由は
以前記事にしたことがある。
軍隊式小学校は
老朽化の為に別の場所に移転することになり
工事はすでに始まっていた。
母は、校舎が新しくなったら、そこに転校しなさいよ!
といつも言っていたのだ。
そんな理由があり、私はS君と一緒に壇上で挨拶を
しなければならないと思い込んでいた。
ただ...私の父は警察官ではない...
なぜ、うちの父の職業だけ先生は隠すのだ?
という疑問はあった。
先生は、戸惑いながらも
あとで、先生がお母さんに電話で
聞いておきますね。まぁ...いいでしょう。
じゃ、S君から挨拶してね。
驚いた...S君は泣いていたのだ。
泣きながら
家で練習してきたような素晴らしい挨拶をした。
優しいおじいちゃん先生も泣いていた。
そして、これからもその強さで色んなことを乗り越えて行くんだよ!
と、S君に優しく語りかけていた。
みんなが集まって来て、S君に文房具などの餞別を渡していた。
涙ぐんでいる子もいる。
みんな口々に、また遊びに来てね。
また、絶対に遊ぼうね。と声をかける
続いて、私の番になった。
私は、語り始めた...
わたしも転校します。
軍隊式小学校に行きます。
みんなと遊べて楽しかったし、優しくしてもらって
嬉しかったです。私のことを忘れないでください。
お父さんは、○○という会社に勤めています
↑かなりこだわっている
先生が拍手をしてくれた。
みんなも一緒になり拍手をしてくれた。
1人の子が、使い古した鉛筆を持ってきて
「すみれちゃんにあげる」と渡してきた。
すると、みんんなが下敷きやら、使いかけの自由帳を次から
次へ持ってきてくれた。
ほんまはあまり欲しくなかったのだが
ありがとうとお礼を言って私は席に戻った。
いい送別会だった...
とてもいい会だった...
みんなを私は忘れない...
ありがとう。
たくさんの頂き物を手に、スキップで家に帰ると
母が玄関で待ち構えていた。
転校するって、言ったの!!?
送別会までしてもらったそうじゃないの!
なんでそんなこと言ったの!!
そして、そのまま母の車に乗せられて
1件1件、お詫びをしながら
頂き物を返して回ったのである。
ああ恥ずかしい!ああ〜あんたは何で人の話をちゃんと
聞かないんだろう...
これじゃ、本当に転校した方がマシだねっ!!
恥ずかしくて、4月からみんなと2年生になれないよっ!!
ずっとブツブツ言っていた母。
ところがどっこい
私は何食わぬ顔で2年の初日には登校した。
そんなことはすっかりどうでも良かったのだ。
母と一緒にお詫びにうかがっていたお陰で、みんなも私の
転校は間違いだったと春休み中に納得したようで
私を咎める子は誰もいなかった...
ただ...本当に私が転校することになった2年の最後には
送別会は行われなかったし、おじいちゃん先生から
届く年賀状には、私が高校へ行くまで
あの事件は傑作だった。あなたは本当に面白い子供だった...
と必ず書かれていた...


