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父との別れ 3

雪の福島空港に
迎えに来てくれた妹は
普段と変わらない様子だった。

車の中で、誰かからの電話を
受けた妹が
私の存在を気にして話にくそうにしているのを見て
私は父がもう亡くなっているのだと
悟った。


覚悟はしていた。


コンビニに寄ってもらい
雪が降る中震える手で
煙草を吸った。

数年ぶりに吸う煙草は
ほんの少し、気持ちを落ちつけてくれたような気がした。


車が動き出すと
妹が

お父さん、亡くなったよ。


と、一言だけ呟く。



後部座席でいきなり
マルとモモが泣きじゃくる。


うん。 そっか。
何時に?


父は、私が荷物をまとめている間
母の電話から間も無く亡くなっていた。


どっちにしろ、間に合わなかった。
私がもし、地元に住んでいても
到底間に合わなかった。

だから、大丈夫。

約20年。20年も父は病と闘い続けた。
最期は、肺炎で呼吸もままならず
常に酸素を持ち歩く生活だった。


安らかな最期だったと聞いて
私は、これで良かったのだと
言い聞かせた。

大丈夫。


11月に私が送ったメッセージが
最期のメッセージとなった。
一つだけでも感謝の気持ちを
伝えられたこと、それが私を
支えてくれた。




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父との別れ 2

2010年の秋
家族で長谷寺の紅葉を見に出掛けた。

今まで父に風景写真など
送ったことがなかった私だが
ただ、なんとなく
この風景と成長した娘たちを
写真に収めメールしたい気持ちになった。

もうすぐ約40歳の誕生日を迎えること、関西での生活が東北で生まれ育った時間を超えてしまっていたこと

今の自分があるのは
父、母のおかげであること。

たくさんの感謝の気持ちはあったが
照れくさいので一つだけ
伝えた。

小さい時から、私は話をするのが
とても好きでした。
お父さん、お母さんが
どんな些細な出来事でも
よく聞いて笑ってくれたから。

そのうちに、もっと喜んでもらいたい、もっと笑って欲しいと
話し方を工夫するようになりました。

私の周りには、涙を流して
お腹がよじれると笑ってくれる
友達がいます。
いつの時代も、私の周りには
そんな友達がいて
笑いが溢れているような気がします。

自慢できるようなこと
何もなく、親孝行のひとつも
出来ない娘ですが
私は、今とても幸せです。


父との別れ 1

2011年の正月明け早々

電話を取る私に
母が例の言い回し。


落ち着いて聞きなさい…


この20年、父はいつどうなっても
おかしくない状態だった。
だから私はいつでも覚悟は出来ている
つもりでいたが
お正月の元気だった父の様子を妹から
聞いていたばかりに
少々事態を飲み込むには時間が必要だった。


父は今朝救急搬送されたと言う。
話せるし、元気になってきたから
大丈夫なのだけどね…と母。


しかし、泣いたり
パニックを起こしている暇はない。
父に会いたいのならば
私は早急に進まなければならない


飛行機の時間を確認。
1日2便の福島行き。
今から急いで支度をすれば
夕方の便に間に合うようだ。
ダンボールに適当に荷物を
放り込み早退させた子供たちと
空港に向かった。

ダンボールには、喪服を入れた。

不謹慎だと自分でも思うが
迷っている暇はなかった。
後で父が回復し、笑い話になればそれでいい。


私にはわかっていた。
本当はわかっていた。

母が、私に父の容体を
報せて来ることは
危篤であるということ。

遠くに住む娘に
心配をかけまいと、救急搬送されようが入院しようが
1度も報せて来たことなどなかった。

全てわかっていた。


11月に、私は父に生まれて初めて
長いメールを送った。


父がいなくなる前に
言っておかなければならないと
考えた訳ではなく
なんとなく、ただなんとなく
父に伝えたいことがあったから。


つづく

お母さんへ

あまり食べ物の好き嫌いがないのは、お母さんのおかげ。

勉強を教えてくれた。

大声で笑うこと、しゃべり続けることに寛大だった。

本をたくさん読ませてくれた。

いつも怒られたけれど、わたしのことを
自分の子供の中で一番優しい子と認めてくれた。

丸いおむすび、美味しかった。

ご飯が余った時に作る味噌おむすびも美味しかった。

うちには、いっつもおやつがなかった。
でも、たまに作ってくれるお菓子が美味しかった。

クリスマスにはなぜか、イトーヨーカドーの値札のついた
お菓子のブーツが届いた。

私をいつも心配していた。

東京に、お米を担いでやって来た。

東京の私の職場に汗だくで現れて、いつもお世話になっています。
みんなでお昼を食べてとお金を置いていった。
私は、素直にありがとうと言えなかった。ごめんね。

突然、関西にもやってきた。
その時も、お米を持ってた。
私が、離婚すると言った次の日だった。


お父さんの小言は聞こえない。

もう一人で15年、お父さんの治療費を稼いでいる。

お父さんの悪口を言わない。

お父さんには、いい暮らしをさせてもらったよ~と
朝から晩まで働き詰め、お友達とお茶を飲むことさえ
できない毎日に、愚痴ひとつ言わない。

今なら、苦労をかけた分恩返しが出来るのに
手伝うこと、家事をすることくらい出来るのに
こんなに遠くにいる。
お金も絶対に受け取らない。ごめん。


手伝いたい、話したい、肩を揉みたい
たくさん思いは溢れるけれど


今あなたが生きてくれていることに感謝します。



見たらわかるだんっっ!!!

ちょいとばかし、カッコつけている時や
ちょいとばかし、怒っている時にする間違いや失敗は
1.5倍恥ずかしいもんだね。


まだ、私が若くて独身だったころ
怒りながら、閉まりかけの踏切を渡り
”怒っているくせに、小走りは恥ずかしいぞ...”
堂々と歩いて(でも、少し早歩きで)渡り切った所で





shadanki.jpg





バーが、頭上に直撃してきた。



踏み切りの向こうで、旦那が人目もはばからず
こっちの様子を見て爆笑しているのが目に入り
怒りが頂点に達した私は、旦那に別れ話を切り出し
旦那の部屋にあった自分の私物を
乱暴に紙袋に詰め、叩きつけるようにドアを閉め
階段を数段駆け下りた所で、紙袋の底が抜け
中に入っていた衣類や、CDやゲームソフトが





img4752.jpg


すべて、階段の隙間から地面に落ちてしまった。





それを 半泣きで拾っている私を
窓から見下ろし、またしても大笑いの
悪魔のような旦那の顔を思い出すと非常に不愉快になる(笑)


数年前のこと
USJでいつものごとく、ダラダラとしている旦那に腹を立てた私は
地図音痴のくせに

セサミのショーはここだ!!と言い張り
さらに、この園内はすべて頭に入っていると偉そうに抜かし

地図をクルクル回しながら、首をかしげる旦那に向かい

子供達も楽しみに来てるねんからなっ!!
観られへんところやったやんか!!


と、怒りをぶちまけ....






udegumi51.jpg





腕組みをし、斜に構えてショーの開始を待つ。









すると、キャディラックに乗った数人の男女が現れ
次々にハイテンションで、踊りだす。




少し離れたところで、旦那が腹を抱えて笑っている。

セサミは、あっちやで のポーズをしている旦那に




シーッ!! 私は、このショーを楽しんでいます。
お静かに!!


のアピールをすると、ますます旦那は馬鹿ウケ。



仕方がないので、子供達の為に
セサミに行くけれど、私はあのショーを楽しみたかったわ....
くらいの態度でそこを立ち去る。


なんで、こんな変なところで意地を張るのだ自分.....!?



そんなこんなの 結婚16年。



先日も、旦那が いつものマイペースぶり爆発。
イライラしているところに
同じことを何度も何度も聞いてきた旦那。
4回目くらいからは、わざとである。
(この男は、小学生並みの精神年齢なのだ)







anntatachi_20091027082444.gif





何度目ですか? もうええやろ.....


これ、見たら わかるだんっっ!!!




と、旦那の求めている答えの入ったチラシを
テーブルに バーンッッ!!! と
叩きつけてみたものの.....


見たらわかるだんっっ!!!

(見たら、わかるやん? と
見たらわかるだろうさ?
が混じった。)


に、旦那とマルが異常反応して
転げまわって笑っているので






仕方がないし.....
私も、転げまわって笑ってみた。




3枚目は、しょせん3枚目。
本当にカッコがいいひとに
そんなタイミングで踏み切りのバーは落ちてこない。

つまらないことで、意地を張るのはよそう.....
意地を張れば張るほどに、自分の価値は下がり
虚しくなるものだったんだ。


そんなことを悟った気がする37の秋。



テーマ : 発達障害
ジャンル : 福祉・ボランティア

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