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2018年近況4


高校の時に稼いだ賞金と奨学金で
マルは、美術教師になるべく大学に通っております。

高校三年間で元に戻ったかのように
見えてはいたが、やはり
それは外側から見えていた部分だけだったのです。

マルは、ずっとずっと
心の中に抱えていたものがありました。

それは、どうしてもわからなかった
中学時代の引きこもりに起因するものでした。


約8年経ってそれをようやく教えてくれました。

不安神経症の中の1つの症状です。

環境が大きく変わり、私の病気や離婚で頑張るしかなかったのでしょう。
ムリが祟ってしまったようです。

その症状の専門医が大阪にはいらっしゃらないようなので
不安神経の方で10件以上病院を探しましたが
マルが心を開いて話ができるような雰囲気の病院が見つからず
結局専門外来ではないけれど、私の通う精神科に通うことになりました。

なぜ、ここまで探したのかと言うと
8年通った医大では、一切何もしゃべらない子だったのです。
名医とか、専門的な療法とか、全てが揃った病院は皆無で
それなら、もっとも話しやすい相談しやすい病院を優先にと
考えた結果でした。

話した内容はもちろん知らせてはもらえませんが
ケースワーカーの女性にも、担当医にも
たくさん話をするそうで、良かった。

時間はかかるかもしれないけれど
ようやく原因がわかったから
あとは、良い方向へ進むのみ。
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2018年近況3


好きな絵を学べる学校で、マルは生き返った。

休まず学校へ通い、真面目に授業を受け
3年間、学校で1人選ばれる特待生になってくれた。

先生が、お母さんに金銭面で負担をかけたくないと
思って頑張ったようですね。

と、教えてくださった。


ここでの3年間は、時に不安定ではあったが
輝かしいものだった。
3年間で獲得した絵やデザイン、スピーチコンテスト等の
数、内容、賞金等は凄まじかった。

何より、それらを獲得しても
表彰式に出席するために東京へ行くので休みますなど
必要に応じ担任にいきなり報告するだけで
友達にも、誰にも自慢せず、報告として
私だけに伝える彼女の謙虚でクールな性格が
素敵だと思った。

同時に、全く女子高生らしくない精神年齢の高さに
大人になるしかなかった彼女に申し訳ない気持ちで
複雑になった。

ごめんなさい。

2018年近況 2


マルは、いくつかの高校のオープンスクールに行った。

行きたい高校はあったようだが
引きこもりの原因がわからず、行きたい気持ちがあっても
外に出れなかったら高いお金を払わせるのが悪いと言って
なかなか決められずにいた。

とある専門学校を知り、ここなら通えるかもしれないと言った
マルに、私はお金の心配はしないようにと伝えた。

何処でもよいから、外に出て刺激を受けて欲しかった。
何年か前の私ならば、そんな専門学校に通って
意味がない!お金を捨てるようなものだ!と思ったに違いない。

でも、そこなら通えるかもしれない!と言った彼女の言葉に
嬉しくて嬉しくて涙が出た。

通えなかったらまたその時に考えたらよい。
通えたら、友達が出来たら、何気ない会話をして
誰かと時間を共有して笑って泣いて
何かを考えて、迷い、悩み、感じてもらえるなら
どんなことをしてでも、通わせたいと思った。

死んだように生きていた彼女に
まだ希望があり、欲求があったことにホッとした。

2018年近況

2018年もそろそろ終わる。

離婚したのはもう5年前になる。

長い長い5年間で、子供達も私自身も大きく変わった5年間でもありました。

離婚した直後、マルは中学三年生、モモは中学一年生。
引きこもりのマルは3度目の転校、モモは慣れ親しんだ幼稚園から一緒だった
お友達と離れ、奈良から大阪へ引っ越すことになった。

マルは、学校に行こうと努力はしたものの難しく
結局、市が運営するフリースクールにお世話になった。
私は、大きく体調を崩していたがとにかく働かなければ生活していけないので
仕事を掛け持ちで、家にいる時間がなくなった。

そのうちに、モモが新しい環境に馴染めず不登校になった。
マルのお世話になったフリースクールに入れないか教育委員会に
申し込みにいったところ、経度でも知的障害は無理です!と門前払いの形になったので
諦めて、他を探してみたがモモが通えそうな場所がなく
結局、3年生の3学期迄家に引きこもることになった。

モモは約三年間、毎日家事をしてくれた。

洗濯→干す→畳む→片づける
全ての部屋の掃除機、拭き掃除
お風呂、トイレ、洗面所、キッチン 水回りの片づけ掃除
ゴミの処理
お花の手入れ
メニューを考えて買い物→毎日の晩御飯

これらを毎日、毎日やってくれたので
この期間の私は、本当に助かった。

モモは、中学3年生の3学期に高等支援学校へ進学したいと決め
そこからは保健室登校のような形をとり
卒業するまで休まずに通うことができた。

高等支援学校は、家から片道2時間近くかかるが
まじめに通い続けた。
入学した4月に痴〇に遭い毎朝執拗に追いかけられたので
鉄道警察の方にお願いし見事現行犯で捕まえる!私も立ち会った!
という出来事がいきなり起きたが事件はそれくらいで
あとは平和だったのかもしれない。

働く意欲が旺盛で、バイトの面接を20も落ちても
諦めず、履歴書を丁寧に丁寧に1時間かけて書き
次の面接に挑む強さは頼もしいと思った。

大阪でも少しだけガラの悪い街にある
個人経営の居酒屋さんに初めて合格した時には
落ち続けて1年以上が過ぎていた。

居酒屋のバイトはできない!無理!難しい!地域ガラ悪い!危ない!
個人経営は余計に怖い!相手が見えない!
帰りが終電とかありえない!と私は大反対したが
彼女は、絶対に絶対に働くと言って聞かず
勝手にアルバイトを始めた。

膨大なお酒の種類、作り方 家で何度も書き出して
そこら中に貼ってすべて覚えた。

今もまだそこでお世話になっているが
マク〇ナルドでも働いている。

就職もとある企業に決まりそうなので、一安心である。

居酒屋さんの店長はとても良い方だった。
この方と出会わなければモモは
どこかでアルバイトできていただろうかと思う。



癌になった 2

この夏のことは、過去記事にも
書いたのですが
珍しく母が、父の初盆と納骨があるから今年のお盆は長めに帰省して欲しいってね、多分はじめてこういう
お願いをしてきたのですよ。
私の生活を第一に考えてくれ
帰省して欲しくても、帰って来なくて大丈夫だよ!なんて言ってくれていた母の珍しい申し出を受け
三週間の帰省を決めた私。

マルと旦那は後で帰省してくることになっていました。

帰省してすぐに、旦那から
○○クリニックから電話が
来てると聞いた。
折り返しの連絡等不要だった
ようなので、いつしか
忘れていた。

福島から奈良の自宅へ帰り
義母よりクリニックから
数度の電話があったことを聞き
さすがにすぐに電話をかけた。

なるべく早い時期に
設備の整った病院で受診して
欲しいとのことで
その日のうちに紹介状を準備して
くださった。

血液検査、検便の結果と
私の貧血が酷かったこと
で、主治医は何かある可能性が
高いので、内視鏡を入れて
そのまま切除するのが望ましい
と説明してくれた。

本当にこの主治医には
感謝している。

内視鏡の前に飲む下剤は
この判断で一度で済んだし
何より、私に何度も知らせて
くださった。

私は、この主治医と出会わなければ
もうこの世にはいなかったのだ。





がんになった 1

私が最初に癌になったのは
40歳の時
父の死から始まった
怒涛の2011年の夏だった。

父の死、義父の脳出血
持病、家族崩壊
色んなことがあった最中でね
40歳健診のお知らせなんて
目にとまることもなかったのです。
当然のようにほったらかしでしたね。

4月に、原因不明の下痢が
続きました。
そういえば、父の葬儀の後に
夜行バスに乗るのに、下痢気味で
バスに乗る前に、下痢止めと
オムツを履いたのも後になり
思い出しました。
それは1月でしたが
寒さと、父を亡くしたストレス
かと思っていました。

4月の下痢は、ひどかったです。
油断したら漏れるくらいの
下痢が一ヶ月でした。

1月から4月までに20kg痩せて
いましたが、ダイエットを
していたので、病的なものだと
気づきやしませんでしたし
↑父の葬儀の時に
妊婦と間違われたのと
喪服が入らなかったのが
ダイエットの始まり(笑)

下痢は、ストレスかとばかり
思い込んでいましたね。
貧血がひどかったからか
氷をバリバリ一日中食べていたので
それも原因だと思っていました。

市販の下痢止めじゃ効かないの
だと受診して下痢止めをいただいた
のは5月。

暫くおさまっていたので
尚更ほったらかしの健診のお知らせ。


しかしね、そのお知らせが
掃除機をかけていたら
食器棚の後ろに落ちていまして
そのまま、どこかの引き出しに
片付けたのですが
たまたま、学校の大事な知らせを
探す羽目になり
学校のお知らせの代わりに
健診のお知らせが再び私の手へ。

なにも感じず、またその知らせを
引き出しの中へ入れた日の夜。

カレー皿の上に綺麗に着地した
健診のお知らせ。


引き出しから落ちたみたいでね。
これにはさすがにたじろぎましたね。

もう引き出しに片付けるのは
やめて、棚の上に置いた私。


次の日だったかな

私のカバンの中に
40歳健診のお知らせ が…。



棚の下に無造作に置いた
私のバックの中に、どうにかして
落下したのでしょうか…。


もうここまで来ると
気になって来た訳ですが
なかなか病院に出向く時間がなく
気力もなかった。

特に大腸がんの検査なんて
1番やりたくない検査だった
こともあり、まだ足は病院へ向かず。


モモが体調不良で
熱を出したか、下痢をしたかで
病院へ連れて行った際に
保険証をバックから取り出す際に
保険証に挟まって出てきた
健診のお知らせ…。


寒気がするくらいの
このしつこさ。

健診のお知らせは
受付スタッフの目に止まり
健診もご一緒ですね?

と、自分の意志とは
全く関係なくめでたく
健診の運びと
なってしまった。


大腸がんは、いいです!
今日は血液検査だけで!

と、必死に抵抗してみると


大腸がんの検査は
2日間の便を持ってくるだけで
済むとのこと。

しかし、ひどい便秘だと
説明すると
出た時で良いと笑顔を見せる
スタッフ。

一週間出ないのはザラなので
きっと忘れてしまうかもしれない
が、一応キットを持ち帰った。

ちょうど、勤めていた飲食店の
検便の時期でもあったので
便に対しての意識は高まり
忘れることはなかった。

奇跡的に2日間の便の採取に
成功した私は、ドヤ顔で
病院の受付にブツを届けた。
その時のやりきった感は
未だによく記憶している。


やりきっただけに
もう健診のことなど
すっかり忘れていた私は
福島に帰省した。



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