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父との別れ 3

2014.06.10(13:33)
雪の福島空港に
迎えに来てくれた妹は
普段と変わらない様子だった。

車の中で、誰かからの電話を
受けた妹が
私の存在を気にして話にくそうにしているのを見て
私は父がもう亡くなっているのだと
悟った。


覚悟はしていた。


コンビニに寄ってもらい
雪が降る中震える手で
煙草を吸った。

数年ぶりに吸う煙草は
ほんの少し、気持ちを落ちつけてくれたような気がした。


車が動き出すと
妹が

お父さん、亡くなったよ。


と、一言だけ呟く。



後部座席でいきなり
マルとモモが泣きじゃくる。


うん。 そっか。
何時に?


父は、私が荷物をまとめている間
母の電話から間も無く亡くなっていた。


どっちにしろ、間に合わなかった。
私がもし、地元に住んでいても
到底間に合わなかった。

だから、大丈夫。

約20年。20年も父は病と闘い続けた。
最期は、肺炎で呼吸もままならず
常に酸素を持ち歩く生活だった。


安らかな最期だったと聞いて
私は、これで良かったのだと
言い聞かせた。

大丈夫。


11月に私が送ったメッセージが
最期のメッセージとなった。
一つだけでも感謝の気持ちを
伝えられたこと、それが私を
支えてくれた。




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父との別れ 2

2014.06.09(13:14)
2010年の秋
家族で長谷寺の紅葉を見に出掛けた。

今まで父に風景写真など
送ったことがなかった私だが
ただ、なんとなく
この風景と成長した娘たちを
写真に収めメールしたい気持ちになった。

もうすぐ約40歳の誕生日を迎えること、関西での生活が東北で生まれ育った時間を超えてしまっていたこと

今の自分があるのは
父、母のおかげであること。

たくさんの感謝の気持ちはあったが
照れくさいので一つだけ
伝えた。

小さい時から、私は話をするのが
とても好きでした。
お父さん、お母さんが
どんな些細な出来事でも
よく聞いて笑ってくれたから。

そのうちに、もっと喜んでもらいたい、もっと笑って欲しいと
話し方を工夫するようになりました。

私の周りには、涙を流して
お腹がよじれると笑ってくれる
友達がいます。
いつの時代も、私の周りには
そんな友達がいて
笑いが溢れているような気がします。

自慢できるようなこと
何もなく、親孝行のひとつも
出来ない娘ですが
私は、今とても幸せです。


父との別れ 1

2014.06.08(16:36)
2011年の正月明け早々

電話を取る私に
母が例の言い回し。


落ち着いて聞きなさい…


この20年、父はいつどうなっても
おかしくない状態だった。
だから私はいつでも覚悟は出来ている
つもりでいたが
お正月の元気だった父の様子を妹から
聞いていたばかりに
少々事態を飲み込むには時間が必要だった。


父は今朝救急搬送されたと言う。
話せるし、元気になってきたから
大丈夫なのだけどね…と母。


しかし、泣いたり
パニックを起こしている暇はない。
父に会いたいのならば
私は早急に進まなければならない


飛行機の時間を確認。
1日2便の福島行き。
今から急いで支度をすれば
夕方の便に間に合うようだ。
ダンボールに適当に荷物を
放り込み早退させた子供たちと
空港に向かった。

ダンボールには、喪服を入れた。

不謹慎だと自分でも思うが
迷っている暇はなかった。
後で父が回復し、笑い話になればそれでいい。


私にはわかっていた。
本当はわかっていた。

母が、私に父の容体を
報せて来ることは
危篤であるということ。

遠くに住む娘に
心配をかけまいと、救急搬送されようが入院しようが
1度も報せて来たことなどなかった。

全てわかっていた。


11月に、私は父に生まれて初めて
長いメールを送った。


父がいなくなる前に
言っておかなければならないと
考えた訳ではなく
なんとなく、ただなんとなく
父に伝えたいことがあったから。


つづく

ありがとう

2014.06.05(19:18)
2011年から、私はどうやってここまで生きてきたのか
あまりにもさまざまなことがいっぺんに起こりすぎて
今ここでいったん整理しておこうと思い立った。

パソコンの前に座り、こうして文字を打つのも本当に久しぶりで
ブログの機能も変わっているので少々時間がかかりそう。。

コメントありがとうございます。。

数年にわたるコメント読ませていただきました。
お返事できなくてすみませんでした。

たまに覗いてくださり、私を忘れないでいてくれた方々
ありがとうございます。。

ココロのひろば 終わります

2010.09.04(21:35)
モモは小学四年生になりました。

発達障害と診断されたのは5歳の時で
私は情報を集めるためと、現実逃避のため
(何かに夢中になりたい、すがりつきたい)
それと、アイデンティティの再形成のため
ブログを立ち上げた。


と、言い切るのは 今私はそう確信しているから。


立ち上げた当初、夢中になっている頃は
現実逃避とは、全く思っていなかった。

ただ楽しくて、目新しくて、打てば響いて
みるみる夢中になった。

私は、いつも人を笑わせてきた。
自分が笑われているのではなく、人を笑わせているのだと
思うようになれた頃からは、どんな自虐でも平気だった。
自分を惨めだと思ったことがなかった。
だから、人が私を蔑もうがどうでも良かった。
どんな失敗でも、私にとったら

”早くお母さんに知らせたいこと”だったし

(母は私の話を馬鹿だねえ...と大きな口を開けて笑ってくれた
たまに、それで怒り出すのが厄介だったが
それでも笑ってくれるかもしれないから
いつも私は失敗談を面白おかしく話した)

いつしか、”ブログのネタ”になっていた。


ただ、私が現実逃避に気づいていなかったために
今までかかってしまったが
本当はもうすでに、自分が欲しい情報はじゅうぶん集まったし
欲しい時には、自分で情報を手に入れる知恵もついたし
自分さがしも十分すぎるほどしてた。
小難しいことを私は考えすぎるほど考えていた。
そんな自分を愛おしくさえ思うけど。
自分が、診断を受けてしまった瞬間から 私は情報で頭が一杯で
それらしくふるまわなければならないと 無意識のうちで
思っていたような気がする。
色んなサイトを見ていると、それはより一層強くなっていた。
変に感化されるというか、それは本当に無意識だったので
自覚できなかったのだが、年が経つにつれ
自分がとんでもなく人に影響される人間だと気付いた。

だって、今まで普通にしていたことを
普通にしてはいけないような罪悪感に陥ったり
どう考えても診断後の私は挙動不審だった。
もともと怪しいけれど、更に怪しさ満載の人物になってしまった。


今回しばらく、障害とか、ブログから遠ざかってみて
私には、そういったことを一切考えない生活が必要なんだと思いました。
変に影響を受けやすかったりする性格が仇になるのですね。
自分を見失ってしまう。
柄にもなくやたらと、哲学的なことを考えはじめた頃から
私は、山ほどある面白ネタを料理することが出来なくなって
しまったのです。
何も考えないで、ただ母に話したかった。
母に大笑いしてもらいたかった。
あの時の気持ちが、いつしかなくなっていたんですね。
自分で読み直すとわかります。
ただただ、読者さんと共に自分も楽しんでいたあの頃の笑い話を。


さて、私は 今忙しいです。

一番欲しいのはお金よりも時間だと言い切れるくらいに
時間がありません。
モモの勉強は、今までのようにはいかなくて
私は、夏休みは1日8~10時間彼女と共に学びました。
同居を始めたので、自分のペースで生活もできず
夕方5時半からの夕食に間に合うように、きちんと動き
(家事はすべて私がやっています)
1階から、一日何度も呼び出され 後でもよいこと
もしくは、自分でやったらどうですか?的なことを
笑顔で消化し 一日が終わることには何もしたくないというか
寝てしまいます。


義父母とは上手くやっています。
やっているというか、一緒に住んで良かったなと
思うことの方が多いし、義両親のこと好きです。
頼まれごとが面倒だとか、自分の親でも思うようなことですし
家ブログを見てくださっている方はわかるでしょうが
本当に色んなエピソードがあったので
今さらというか、もう慣れっこです。
怒りの対象になるようなことは、余程のことだと思います(爆)



仕事をしてお金を稼いで、子供たちに家を残すこと

義両親を大切に、もちろん子どもたちも主人も
家族が毎日笑ってくれるよう
ご飯がおいしいと言ってくれるよう

大切な家を子供たちに綺麗なまま渡せるよう

モモが私が死んでも生きていけるよう


そんなことを願って一日を丁寧に過ごしていれば
時間は本当にあっという間になくなってしまう。
義両親のあらさがしをする暇もないから
家ブログも更新できなそうだ。



そんな事情があるので
ブログを閉じようと思っています。
忙しいだけなら、休止でいいのだけれど
もう、するべきことは終わったし
ここにいれば、必然的に発達障害について
関わる機会も多くなると思うから。
逃げるとか、そんなことではなく
自分が欲しい時に情報を入れたいだけなので。




ある出版社の方が昔のココロの記事
に送ってくださった言葉のなかに

辛いことがあっても卑屈にならず
下手には出ても品位は落とさない

というくだりがありました。

私は、この言葉がとても好きでね
こんな風に多くの読者さんに感じてもらえていたんなら
ものすごく嬉しいなあ。








毎日、数行ずつ書きためたものを繋げて
アップしましたので、文章おかしいかもしれませんが
正直な気持ちであるのでこのまま掲載します。

閉鎖をするとはいえ、プライベートモードで
保存しておきます。
完全に消しさるわけではないので
5年後、10年後にふと ひっそりと復活しているかもしれません。
その時には、難しいことは考えず、またただただ楽しい話をしたいだけ!!の
私がそこにいるかもしれません。

わずか4、5年の出来事が もう数十年のことのようです。
なのであえて 言います。
長年のご愛顧心より御礼申し上げます。

みなさん、お元気で!!




1カ月ほどで、消えます。
コメント、メールは頂いてもお返事する時間がありません。
ごめんなさい。

お母さんへ

2010.06.02(15:24)
あまり食べ物の好き嫌いがないのは、お母さんのおかげ。

勉強を教えてくれた。

大声で笑うこと、しゃべり続けることに寛大だった。

本をたくさん読ませてくれた。

いつも怒られたけれど、わたしのことを
自分の子供の中で一番優しい子と認めてくれた。

丸いおむすび、美味しかった。

ご飯が余った時に作る味噌おむすびも美味しかった。

うちには、いっつもおやつがなかった。
でも、たまに作ってくれるお菓子が美味しかった。

クリスマスにはなぜか、イトーヨーカドーの値札のついた
お菓子のブーツが届いた。

私をいつも心配していた。

東京に、お米を担いでやって来た。

東京の私の職場に汗だくで現れて、いつもお世話になっています。
みんなでお昼を食べてとお金を置いていった。
私は、素直にありがとうと言えなかった。ごめんね。

突然、関西にもやってきた。
その時も、お米を持ってた。
私が、離婚すると言った次の日だった。


お父さんの小言は聞こえない。

もう一人で15年、お父さんの治療費を稼いでいる。

お父さんの悪口を言わない。

お父さんには、いい暮らしをさせてもらったよ~と
朝から晩まで働き詰め、お友達とお茶を飲むことさえ
できない毎日に、愚痴ひとつ言わない。

今なら、苦労をかけた分恩返しが出来るのに
手伝うこと、家事をすることくらい出来るのに
こんなに遠くにいる。
お金も絶対に受け取らない。ごめん。


手伝いたい、話したい、肩を揉みたい
たくさん思いは溢れるけれど


今あなたが生きてくれていることに感謝します。



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